第三章 水族館

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          *  ロビーの明るさとは一変して展示エリアは薄暗いブルーの照明で統一されている。  それはまるで海中の色を再現しているかのようだった。  両サイドの水槽では魚たちがゆらゆらとヒレを動かしている。  聞いたこともない名前の魚がこんなに沢山いることに驚く。  僕とウミは暫く黙ったまま魚たちを眺めていた。  僕は気まぐれに魚を写真に収め、これまた気まぐれにウミを写真に収めた。 「うわ~。大きいね」  ウミが立ち止まり声を上げる。僕も思わず感嘆の声を漏らした。  巨大な水槽が僕たちの前に姿を現す。横幅は優に二十メートルはありそうだ。 「すごい迫力だ」  大水槽の中ではサメやエイ、マグロやイワシの群れなどが入り乱れるように泳ぎ回っている。  僕はその一匹いっぴきに視線を向けた。  ウミの真似をしてそれぞれの魚たちの心理を想像してみようと思ったのだ。  自分よりも身体の大きな魚と同じ空間に入れられた小魚は恐怖で寿命が縮まらないだろうか。  マグロやカツオ達は狭い空間のせいで運動不足にならないだろうか。  サメは目の前を泳ぐ小魚(エサ)の誘惑を我慢することができるのだろうか。    僕は頭の中で疑問をコロコロと回転させていく。  ウミと出会う前はこんなこと考えもしなかった。  きっと僕は何も考えず、スマホの画面をスクロールするみたいに世界を素通りしていた。もしかしたらそれは、とても勿体ないことなのかもしれない。 「どうしてサメと小魚は共存できるんだろうか」  僕は疑問のひとつを声に出した。ウミに投げかけるためだ。  ウミはちらっと僕のほうを見てから水槽のサメに視線を移す。 「お腹がいっぱいだからだよ」  彼女は僕のほうへ向き直る。 「決まった時間に十分な量の食料を与えられているから、わざわざ逃げ回る小魚を襲わなくてもいいの。狩りをするのって面倒だし、エネルギーを使うでしょ?」 「なるほど」 「人間と同じだよ。自分が満たされているときは、何かを欲しがったりはしない。貧乏人がお金を欲しがるもの、独身者が恋人を欲しがるのも、田舎者が都会に憧れるのも、自分が持っていないものを求めた結果だよ。つまりね――」  ウミはここで息継ぎをした。 「自分さえ満たされていれば周りは関係ないってことだよ。卑しい考えをしてしまうのも、残忍な行動をしちゃうのも、全部自分が満たされていないことが原因なんだよ」 「何の話をしているの?」  僕は思わず言ってしまった。  やはりウミの思考は、僕の予想する遥か斜め上をいっている。  彼女の伝えたいことの一割も僕は理解できていないのだろう。  魚の話が人間の話にすり替わって、深部へと突き進んでいくのを僕は見送ることしかできない。  ウミは首を垂らして項垂れた。 「ごめん……。またつまらない話をしちゃった。幸生君は嫌な顔をしないで聞いてくれるものだから、つい甘えてべらべら喋っちゃうの」 「僕のほうこそ話についていけなくてごめん。成瀬は悪くないよ。むしろもっと聞いていたいくらいだ。僕の理解力の問題だよ」  僕とウミの間に気まずい沈黙が訪れる。  僕はウミのことが好きだった。  出会って半年近くが経過し、自分自身を取り繕う即席の仮面が徐々に剥がれてくる時期だ。僕もウミもお互いの本心を言葉や行動で表し始めている。  そして僕はウミの思考回路や抽象的な話し方を好んでいた。  それなのに、僕等の距離はなかなか縮まらない。 「幸生君、あと十分でイルカショーが始まるみたい」 「そろそろ行こうか。ショーは二階から観られるみたいだよ」  僕たちはブルーの通路を黙って歩き出した。           *
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