第五章 残された者

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 四年が経った。  ウミの母親は病気になった。精神的な疲労が影響していることは間違いなかった。命に関わる病気ではないようだったが、彼女の姿は誰が見ても病人だと分かるほどに痩せ細っていた。  僕は部屋の壁に貼り付けていたウミの写真を剥がした。一枚ずつ、シンクでライターの火にかけて燃やした。涙は出なかった。僕はウミを恨むことも、愛することもできない。  あるのは疑問だけだった。どうしていなくなったのか。答えの出ない疑問を抱えながら、僕は写真を燃やし続けた。だけど、一枚だけどうしても燃やせない写真があった。イルカショーの後に撮った笑顔の写真だった。この笑顔だけはどうしても世界から消すことはできなかった。  僕はウミガメの風鈴を買って、写真と一緒にウミの実家に持っていった。写真を見て母親は泣き崩れた。その背後で、風鈴は残酷に鳴り続いていた。  五年が経った。  僕はウミのことを忘れることにした。きっとそれが一番良いと思った。  ウミの両親も探偵を雇うことをやめた。二人もずっと苦しんでいた。地獄のような時間を僕たちは過ごしてきて、それが未来にも続いている。どこかで終わりにしなければいけなかったのだ。  五年という時間が長いのか短いのか、正直よくわからない。あっという間だった気もするし、とてつもなく長かった気もする。でも不思議と「もう無理だな」という気持ちが神様からの啓示のように、すっと頭の中に湧いてきた。これで終わりにしようと、僕たちは直感で感じていた。  でも僕は風鈴だけは買い続けることにした。理由は自分でもわからない。きっと、居なくなったウミに見せつけるためだ。届くはずのない風鈴の音色を聞かせるためだ。  僕とウミは何一つ成し遂げられなかった。だからせめて、ベランダの水族館だけは完成させたかった。僕はラッコの風鈴を買った。  六年が経った。  僕には新しい恋人ができた。相手は同じ職場に勤めている一つ年下の女の子だった。二度食事をして、三度目のデートで告白した。  僕たちは映画館や遊園地でデートをし、人気のお店で食事をした。お互いの気持ちを隠さず伝え合うことを決まりごとにしているみたいに、よくお喋りをした。  僕は彼女のことが好きだった。それなのに、夢中になれない自分がいた。ウミのときみたいに、他のことは何も考えられなくなるほど、相手にのめり込むことができないのだ。  僕はどうすればいいか分からなかった。ウミのことを忘れることができず、今の彼女を心から愛することもできない。宙ぶらりんのまま時間だけが過ぎていった。  そして、7月21日に僕は風鈴を買っていた。マンタの風鈴だった。  僕は恋人と水族館へ行ったことを酷く後悔した。
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