第五章 残された者

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 十年が経った。  僕はウミの部屋を目に焼き付けようとした。ぐるりと部屋を見渡し、瞬きも惜しんで隅々まで記憶しようとした。  もうここに来ることはないだろう。水族館の風鈴は全て揃い、ベランダに水族館を作るという目的も達成された。僕がここを訪れる理由は消失した。  僕は一杯深呼吸をしてから、部屋を後にした。  母親はダイニングテーブルに腰掛けていた。戻ってきた僕を優しみのこもった表情で迎えてくれる。僕は向かいに座った。 「ありがとうございました。もう想い残すことはありません」 「別にいつでも来てくれていいのよ。風鈴がなくたって、ウミの誕生日じゃなくたって、さちおくんが来たいと思って訪れてくれるだけで嬉しいんだから。私は大歓迎なのよ」  母親は遠慮がちに言った。 「ありがとうございます。だけど、もうこれで終わりにします。ウミのことを忘れたいって訳じゃないんです。風鈴を集めて、ウミの望みだったベランダの水族館を完成させた。これで僕とウミの物語は完結したと思うんです。変な言い方ですけど、これ以上は蛇足のような気がする。ウミはこれ以上僕に構われることを望んでいないと思います」  母親は納得しかねる様子だったが何も言わなかった。  僕は別人になりたかった。  髪型を変えて、ファッションを変えて、住む場所を変えて、丸っきり違う人生を歩んでいこうと思った。  三十歳から、新しいスタートを切ろうと思った。  ウミのことだけを考えて過ごした二十代にピリオドを打って、僕なりの幸せを見つけたかった。  きっとそれが最も良い解決策だ。いつまでもウミのことを考えてこの場所に留まっているべきではない。  僕はウミを幸せにするために、ウミを理解するために生きていた。  だけど僕自身についてじっくりと考えたことはなかった。自分の幸せについて、腰を据えて思考することを放棄していた。  だから僕は、これからの十年を僕のために費やしたかった。  きっとウミもそれを望んでくれている気がした。  着信を知らせるメロディーが部屋に響いた。  僕のではなく、ウミの母親のものだった。  彼女は「ちょっとごめんね」と僕に断ってから、スマホを耳に当てた。  僕は残っていたコーヒーを舐めるように飲む。すっかり温くなってしまっていた。 「どういうこと!? ちゃんと説明して!」  耳を裂くような声が部屋に響いた。僕は驚いてマグカップを机に置く。  ウミの母親は僕の目を凝視したまま、電話の主の声に耳を傾けている。  ゆっくりと、ウミの母親は口を動かした。口の動きに合わせて声が漏れる。  「――ウミが見つかったって」
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