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ひとしきり涙を流しきった僕たちは、幾分落ち着いて話ができるようになっていた。
「さちお君とデートをしているとね、こういう幸せも悪くないなって思えるようになったの」
「どういう幸せ?」
「公園や河川敷みたいにありふれた場所でデートをして、私が絵を描く隣でさちお君が読書をしている。見る人によっては味気ないと思うような時間を一緒に過ごす幸せ」
「僕もそういう時間は素敵だと思う」
ウミは頷いた。
「このまま趣味として絵を描く人生もありなのかもなって思った。でもね、本当に夢を諦めていいのかって自問する私もいたの。二つの人格が私の心の中で絶えず言い合いをしている感じだった」
「僕と一緒だって画家の夢を追い続ければよかったじゃないか。ウミの創作の邪魔になるようなことはしないよ」
今さら取り返しのつかないことなのに、僕は反論を口にする。
「きっと私はさちお君に甘えてしまうと思ったの。さちお君だけじゃなくてお父さんやお母さんにもね。逃げ帰る場所を残したくなかった。大学生活を送りながら、さちお君とお付き合いしながら、両親に養ってもらいながら、そんな生ぬるい生活をしながら目指せる夢じゃないと思ったの」
ウミは諭すように柔らかい口調で言った。
「なにより、さちお君と過ごす時間が幸せだった。画家になる夢と、さちお君とこれからも一緒にいることを天秤に掛けたの。天秤は左右に大きく揺れたわ。日によって考えはコロコロ変わるし、このまま一生答えを出せないんじゃないかと思ったくらいよ」
「でもウミは、僕を捨てる決心をした」
言い終えてから酷い言い方をしたことを後悔した。ウミは悲しそうに目を伏せる。
「そうだよ……。私は画家になる夢をとった。私はこの夢を諦めたら一生後悔すると思ったの。一度は捨てることを決心した命をさちお君に救われた。だから私はこの人生を絶対悔いのないものにしたかった」
ウミは自分勝手だ。自分の夢のために僕や両親を傷つけた。
僕たちが失った十年間は、「ごめんなさい」の一言で取り返せるほど短い時間ではない。
だからといって僕にウミを責める権利があるのだろうか。
僕はただの交際相手に過ぎず、彼女が夢を追いかけるために彼氏を捨てることは、恨むに値するほどの罪ではないとも思える。
僕はウミを怒るべきなのだろうか。それとも、許すべきなのだろうか。
「私は自分のことだけを考えて、他の全てを犠牲にしたの。恨まれることも、縁を切られることも覚悟の上で失踪した。だから、許してほしいなんて言わない」
「許さないよ。許すわけない」
反射的に言葉が出る。
「ウミは自分勝手に好きなことをしてきたんだ。許されるわけがない」
彼女は黙って頷いた。全てを受け入れる準備はできていると言わんばかりの表情だった。
「だからこれからの十年間は、僕の身勝手に付き合ってよ」
ウミは目を見開いた。一気に驚きの色が浮かぶ。
「僕だけじゃない。ウミの両親の我儘も受け入れるんだ。僕たちが受けた苦しみをウミにも味わってもらう」
僕は自分で語りながら、すごいことを口走ってしまったなと思った。
自分でも整理がついていないのに、思い付きで言葉を発している。
「嫌とは言わせない。画家だか何だか知らないけど、もう逃がさないよ」
言い終えてから、こういう結論も悪くはないかもしれないと思った。
僕たちは散々ウミに振り回されたのだから、多少大きなことを口にしてもバチは当たらないだろう。
それになにより僕の心の中では、怒りの感情よりも安堵の感情が勝ってしまうのだ。
”ウミが生きていてくれた”
その事実が否応なく僕の心を温める。あれだけ傷つき、多くのものを失ったというのに、僕は今でもウミを求めていた。
もしウミがこれからの十年を僕の傍で過ごしてくれると言うのなら、きっと僕は躊躇いもなく彼女を許してしまうのだろう。
彼女はまた泣き出した。今度は笑みを浮かべながらの涙だった。
「許してくれるの?」
「許さない」
僕も笑顔を返す。
「刑期は十年だ。十年後の今日に、許すかどうかを判断するよ」
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