第一章 風鈴

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   ウミの部屋は二階の一番奥にあった。部屋の中は今でもウミの匂いで満たされている。それは錯覚かもしれなかったが、確かに僕は懐かしいものを感じていた。  5畳にも満たない部屋には、ベッドや本棚、学習机が置かれており窮屈な印象を与えた。僕は本棚に歩み寄り、ずらりと並べられている本の背表紙たちを眺めた。 『海の神秘』 『イルカの生態』 『世界の名画』 『幸せの見つけ方』 『太陽はどのようにして誕生したか』 『人は死ぬとどこへいく』 『なぜゴッホは死ぬまで評価されなかったのか』 『人が死ぬ前に後悔すること』  全く一貫性のないラインナップだなと思った。  大学生の女の子が好んで読む内容とは思えなかった。やはりウミは普通とは少しずれた世界で生きていたのかもしれない。  結果的にその ”ずれ” が彼女の重荷になってしまったのだろうか。  今となっては全て謎のまま真実を知る由もなかった。  僕は窓に近づきカーテンを開けた。  眩しい夏の日差しが差し込んできて目を細める。  僕は窓を開けてベランダへと出た。  そこには物干し竿に均等に吊るされた風鈴が並んでいた。数にして十ある。  その全てが海の生き物の形をして、タコやクラゲ、クジラなどが太陽の光を反射して鮮やかに輝いている。  青い空を海に見立てると、ベランダがまるで水族館みたいに華やいで見えた。  僕は手に持っていたカバンから箱を取り出した。テープを剥がし、箱の蓋を開けると中にはガラスの風鈴が入っていた。  僕は上部の紐を摘んで慎重に風鈴を箱から取り出した。  イルカの形をした風鈴だった。それを並んでいる風鈴の端にくくりつける。 「とうとうイルカの番になっちゃったよ」  僕は独り、風鈴を見ながら語りかけた。 「ウミは好きなものは最後にとっておきたいタイプだろ? だからイルカは最後まで残しておいたんだけど」  いっこうに風が吹く気配はなかった。せっかくの風鈴がその才能を発揮できず、手持ち無沙汰に佇んでいる。 「あの水族館さ、十一種類しか風鈴置いてないんだ。だから、このイルカで最後なんだ」  僕は胸に込み上げてくるものの気配を感じ、ひとつ深呼吸をした。  それから自分なりの精一杯の笑顔を作り、先程よりも大きくはっきりと口に出した。 「ウミ、誕生日おめでとう」  そう言った直後、風がベランダをくぐり抜け風鈴たちが一斉に音を奏でた。  それは今までに聞いたどんな音楽よりも僕の心を捉えて離さなかった。  ウミが怒っているような、泣いているような、叫んでいるような、からかっているような、笑っているような、そんな音だった。  ――これはウミの音だ。  ウミが生まれた日であり、ウミがいなくなった日。その1日だけに奏でられる海の日の音だ。  僕はいつまでもこの音を聞いていたいと願っていた。  だが同時に、海の日の音を聞くのもこれで最後かもしれないなと感じてもいた。
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