妖精が見えた元三十路童貞の話 ※

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 男は泣いていた。泣きながら、揺さぶってくる。  とにかく周囲の目から遮断しなければと男を自室に押し込んで、床に座らせ、お茶を出し、「あの」と切り出した。 「雪のお兄さんですよね」 「……そうです」  うつむいて答える兄の前に腰を下ろすと、正座をして対峙した。 「昨日の電話で心配になった、とかですか」  訊くと、兄が急いで顔を上げた。何か、とても葛藤しているのはわかる。 「やはり、あなたが彼ぴですか……」 「いやまあ、はい、なんですかその彼ぴって」 「これでも堪えてるんです。彼ぴ呼びならちょっと可愛くて、憎しみが薄れるでしょう?」 「憎しみ」  歳が離れていて、子ども扱いで、いつも気にかけている兄。女じゃなく男がいると言えば、そりゃあ心配して遠い北の地から飛んでくるはずだ。  やっぱりどう考えても逆効果だった。 「雪は、小さな頃から人付き合いが苦手で」  兄がぽつぽつと語り出した。友人も少なく、引きこもってパソコンばかりいじっていた。だから、人間相手にどう接すればいいのかわからないところがある。誤解されることが多いが、素直ないい子なのだと言うので、「そうですね」と答えた。  兄は忙しなく自分の頬をこすりながら、俺の目を見ずに続けた。 「あなたが彼氏だと……、にわかに信じられなくて……。雪は、よくわかってないんじゃないかと……、その、好きとか嫌いとか、恋愛感情をわかっていないんですよ、雪は」  俺と付き合っていることを、何かの間違いだと言いたいらしいとわかった。  冗談じゃない。俺たちはめちゃくちゃ恋愛してる。好きって言うし、言われるし、セックスしまくってる。  と言いたかったがやめた。この人は、ただ混乱している。いつまでも子どもだと思っていた弟が、急に「彼氏」を作ってしまった。信じたくない気持ちは理解できる。 「今日、僕がここに来たのはですね、別に、別れろと強要するためじゃないんですよ。ただ本当に、あの子はわかってるのか、騙されてないか、何か事件に巻き込まれてないかを確認したくて」 「男と付き合うことに関しては、特に咎めないと?」  相手が男だから止めにきたのかと思ったが、違うらしい。兄が顔を上げた。顔面蒼白で、唇がわなわなしている。
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