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二人の休日 ※
〈築城編〉
休日の午前十時過ぎ。チャイムが鳴った。
「おはよう」
ドアに小さく隙間を開けて外を見ると、成瀬さんだった。
「おはようございます」
「今日、休み?」
「はい」
ドアの隙間から返事をすると、成瀬さんが頭を掻いた。
「一緒にいていいか? 邪魔か?」
ためらいがちに訊いてくるのが可愛くて、口元がほころんだ。
「いえ、俺も一緒にいたいです」
「じゃあなんで開けねーんだよ」
成瀬さんが隙間に手を突っ込んで、ドアを開けようとしてくる。
「待って、今ちょっと」
「今ちょっと?」
「下半身が」
「下半身?」
すごい力でドアが全開になり、成瀬さんのぎらついた目が素早く俺の股間を見た。
「……それ朝勃ち?」
「違います」
読んでいた漫画で股間を隠すと、成瀬さんが「げ!」と濁った声を上げた。
「俺の本じゃねーか」
「断じて、下卑た目線で読むつもりはなかったんです。これを成瀬さんが描いたんだって思うと、いつの間にかこうなってて……、成瀬さんの漫画を読むと、いつもこうなるんです。なんか……、ごめんなさい」
成瀬さんが玄関に飛び込んできた。ドアを閉め、靴のまま、俺を抱きしめる。めちゃくちゃにキスをされた。なぜ急にと目を白黒させていると、我に返った様子で唇を離し、うつむいた。
「う、嬉しくて。急に悪かった」
別に、突然キスされても一向に構わないのだが、悪いことをしたみたいに反省している姿にうずうずした。抱きしめたいのを我慢して、よしよし、と頭を撫でてみる。
「俺のほうこそ、成瀬さんの漫画で勃起してすいませんでした」
「エロ漫画だぞ?」
成瀬さんが噴き出した。俺の手から漫画を奪ってぱらぱらとページをめくる。
「正しい使用法だし、逆になんも感じねー、抜けねーって言われるほうがへこむ」
「でも俺、普段あんまり二次元で抜けないんです。やっぱり成瀬さんのだからこうなるのかな」
「雪が普段何で抜いてんのか知りたい。ていうか、抜くってもう一回言ってくれ」
成瀬さんの変態魂に火が点いた。黙っていると、鼻息を荒くして急かしてくる。
「いつも何で抜いてんだ?」
「動画です」
成瀬さんは前屈みになると、俺に漫画を押しつけて言った。
「上がっていいか?」
「はい、どうぞ」
ベッドに上り、壁を背にして並んで座る。二人でいるからと言って、特に何かするわけでもない。点けっぱなしのテレビに目をやって、成瀬さんが咳ばらいをした。
「妖精は?」
「危険を察知して消えました」
妖精は人の性行為を見ると死ぬが、自慰でも同じらしい。今日は一日外で男を漁ると言って、出ていった。おかげで、気兼ねせずにイチャつける。
「その……、収まったか?」
「勃起ですか?」
訊きながら、ズボン越しに自分の股間を撫でた。
「勃ってますけど、気にしないでください」
男同士だし気にならないだろうと思ったのだが、成瀬さんは食い入るように俺の股間を見ている。
「しますか?」
ズボンのゴムを引っ張って、何気なく訊いてみた。成瀬さんの手が素早く伸びてきたが、動きを止め、手首を抑えて苦しそうな声色で言った。
「雪、頼みがある」
「はい、なんでしょう」
「俺の漫画を読みながら、してるところを見せてくれ」
「自分で?」
「そう、自分で」
右手のこぶしを上下に振る成瀬さんの瞳は、輝いていた。少年の無邪気さで、えげつない言動をするちぐはぐさが面白い。
「性癖の癖が強いですよね」
「だから成人向けやってんだよ」
仕事に誇りを持っている感じが大好きだ。まじまじと見つめていると、俺の視線に気づき、やばい、という顔になった。
「引いた?」
「いえ、好きです、そういうところ。じゃあ、見ててください」
下半身をむき出しにして、左手に漫画を持ち、右手でペニスを握る。すぐ横に作者本人がいて、俺の行為を凝視している。
可愛い女の子が激しく揺さぶられ、柔らかそうな二つの乳房が跳ねている。抜き差しされ、挿入しているところから溢れてくる液体が飛び散る描写。
右手を動かしながら、成瀬さんを見た。ベッドの上で正座をしている。ギラギラした目が俺の股間と顔を、行ったり来たりして、忙しい。この状況に、ちょっと笑ってしまいそうだった。
でも成瀬さんは真剣で、その情熱的な視線に射られ、俺は興奮した。
漫画よりも成瀬さんを見ていたい。
と言ったら、怒るだろうか。
「成瀬さん」
手の動きを止めずに、呼んだ。
「触ってほしいです、成瀬さんに」
成瀬さんの体がぴくっと反応した。ゴクッと唾を飲み込んだ音が聞こえる。
「わかった、じゃあ、こうしよう」
俺の背後に回ると、背中に覆いかぶさってくる。後ろから手を伸ばし、右手が、俺のペニスを捕らえた。
「我慢汁すげー」
濡れた先端をこねられて、「あっ」と声を漏らす。成瀬さんの手に交代した途端、俺のペニスは硬度を増し、腰が浮きそうになる。
「雪は漫画見てろ」
言われるままに、ページをめくる。とにかく柔らかそうな胸の描写が巧みだった。喘いでいる女の子の表情はもちろんだが、「ぱちゅんぱちゅん」とか「ぐぽっ」とか「ぬぷっ」とか、文字の効果音でさえ、エロく感じた。
これを後ろのこの人が、俺のペニスをハアハア言いながらしごいているこの人が、童貞だった頃に生み出したのだと思うと腰のあたりが甘く疼き、もう、わけがわからなくなった。
「イク、成瀬さん、出る、あっ……」
成瀬さんの左手が、飛び出した精液を受け止めた。大きな手のひらに精液を搾り取られたあとで、生暖かいぬるぬるの両手に包み込まれ、思わず「あ」と声が出る。
ぬめりの中で右手と左手がこね回してくる。
俺は悶絶した。
声が抑えられない。でたらめにわめいた。腰が浮き、体が震え、下腹部が波打った。
そこで意識が切れた。
目を開けると、スマホが俺を見ていた。スマホだなあと思った瞬間、「カシャ」と音を立てる。
「なんで撮ってるんですか?」
「起きたか」
スマホの向こう側から成瀬さんが顔を見せた。
「あれ、俺、寝てました?」
「少し」
もしかしたら気を失ったのかもしれないと思い至り、じわじわと照れがくる。うつ伏せのまま、成瀬さんから顔を背け、壁を向く。カシャ、と再び音が鳴る。
「後ろ頭もめちゃくちゃ可愛い」
「なんですかそれ」
ふっ、と笑いが漏れた。
「さっきからこの寝癖が愛しくて」
後ろ頭を撫でてくる成瀬さんの手も、声も、優しかった。顔を見たかったが、もっと撫でてもらいたかった。振り向きたいのを我慢して大きな手に甘えていると、瞼が重くなってきた。
慌てて身を起こす。
「寝そうだった」
「別に、寝れば?」
「寝たらもったいないじゃないですか。せっかく成瀬さんといるのに」
「うっ」
成瀬さんが胸を押さえ、シーツに倒れ込む。
「大丈夫ですか?」
「……雪、好きだ」
「はい、俺も好きです」
「あー、くそ、勃起したー」
「じゃあ、セックスしましょう」
射精したばかりだが、すぐに勃つ自信があった。
成瀬さんが俺に乗り、唇を二回、チュ、と軽く吸う。それだけで見事に返り咲く。
午前中だからとか、もうすでに配慮しなくなっている。
この人が、好きだ。好きだし、触れたくて、繋がりたくて、くっついていたい。
終わったあと、狭いシャワールームで一緒に体を流し、狭い台所で並んでインスタントラーメンを作った。テーブルも、狭い。終始窮屈なのに、嬉しかった。
競うように食べ終えて、テレビを眺める。昼下がりをぼんやりと、贅沢に過ごす。
テレビは全然面白くなかったが、それはいつものことで、となりに成瀬さんがいるだけで、ご褒美みたいな時間だった。
どうして。
どうしてこんなに好きなのだろう。
一日はあっという間に過ぎて、外が暗くなる。
「腹減ったな」
大きなあくびをしてから、成瀬さんがスマホを見て言った。
「なんか外に食いにいくか」
「賛成です」
「あ、メール来てた。返信する」
「はい、どうぞ」
「誰から? とか訊かねーの」
「誰からですか?」
訊いてほしいのだと思って訊ねたが、成瀬さんは答えずにチラチラと視線を寄越す。
「なんですか?」
「ずっと、言おうか迷ってて」
「何を?」
「……雪の、連絡先が知りたい」
そういえば、付き合ってだいぶ経つのに電話番号すら知らない。隣に住んでいるし、知らなくても支障がなかったのだ。
でも俺たちは、付き合っている。知っているべきだ。
「連絡先、交換しましょう」
成瀬さんが無言でガッツポーズをした。目が合うと、お互いに照れ笑いで視線を逸らしてしまう。ギクシャクと連絡先を交換すると、ほう、と息をついた。
家族と仕事関係以外、登録がなかったスマホが、生まれ変わったみたいに潤った。自然と頬が緩む。成瀬さんを見ると、ニヤニヤと画面を見つめている。きっと俺も同じ表情をしている。自分の顔を撫でながら、LINEのアプリを開く。
意外というか、成瀬さんのアイコンはデフォルトのままだった。そういう俺も、プロフィールは何も設定していない。必要性を感じないからだが、この機会に変えようかと思案しながらトーク画面を開き、「test」と入力して送信する。
「お、雪からLINEきた」
「テストです」
「……本当のテストだな」
「肉でも食べますか?」
訊きながら、スマホを操作する。
「いいな、焼肉行くか」
「はい、ちょっと待ってください」
素早く文字を打ち、送信する。成瀬さんのスマホが、バイブする。
「何、なんか送った……」
スマホを見て、成瀬さんが言葉を切った。ただ、「好きです」の一言にハートをつけて送っただけなのだが、なぜだか目が潤んでいる。
「雪」
肩を抱き、こめかみに何度も小刻みに唇を押しつけて、合間に「雪、雪、雪」とたくさん俺を呼ぶ。
「この、くそっ、可愛いかよ……」
へなへなと脱力する成瀬さんの体を抱きとめた。
何がそんなにと思ったが、逆ならと考えて、納得した。
なるほど俺たちは、お互いが可愛いらしい。
〈おわり〉
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