冷え性

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「ただいま」 マンションのドアを開ける。やっと一週間が終わった。 おかえり、と彼女が優しい笑顔を浮かべて出迎えてくれる。それだけで仕事の疲れが吹き飛ぶ。この笑顔を守るためだけに働いていると言っても過言ではない。 簡単に食事を済ませ、テレビを見ていると彼女が甘えるようにもたれ掛かってきた。 「今日は一緒にお風呂に入ろうか」 髪を梳かしながら提案すると彼女は嬉しそうに笑った。なんて愛らしいのだろう。 僕の彼女はいつも冷え性だ。彼女のためにバスタブに湯を張る。普段はシャワーでさっと済ませるだけなのだが、彼女と一緒に入るときは湯船にも浸かるようにしている。 「さあ、入ろう」 照れ臭そうに笑う彼女を浴室へと連れていく。いつものように服を脱がせ、椅子に座らせて丁寧に髪と体を洗っていく。くすぐったがりの彼女は体を洗われるとつい笑ってしまうようだ。 全身の泡を洗い流し、彼女を先にバスタブに入らせてから、その間に僕もシャワーを浴びる。彼女は風呂が好きらしい。とても嬉しそうだ。 「今度、温泉にでも行こうか。せっかくだから部屋に露天風呂が付いているような良い部屋を予約しようよ」 そう提案すると、それなら一緒に入れるねと今日一番の笑みを見せた。 ああ、なんて可愛らしいのだろう。僕のすることはなんでも喜んでくれる。尽くし甲斐があるというものだ。 彼女を後ろから抱き抱えるようにしてバスタブに入る。湯が溢れ、ザーッと音をたてて排水口へ流れていく。 追い焚きボタンを押そうと彼女の後ろから手を伸ばすと、ボキッと鈍い音が浴室に響いた。 「なんだよ、今回は随分と早かったな」 舌打ちをして、右腕の折れたマネキンを湯船から引っ張り上げた。 バスタブの栓を抜くと、渦を描きながらぬるくなった湯が流されていく。浴室から出て体を拭き、てきとうな服を着てすぐに電話をかける。 「もしもし? 今回のはもうダメになっちゃいましたよ。今度はもっと丈夫なのがいいなあ。あと、笑顔なのはシチュエーションが限られるから、やっぱり無表情のほうがいいですね。笑顔で喧嘩はできませんから。はい、ではなるべく早くお願いしますね」 電話を切り、浴室へと戻る。 マネキンをざっと拭き、全身の関節を折って小さくしてからゴミ袋へと放り込んだ。「元カノ」は次の彼女が来るまでに処分するのがマナーだ。 ゴミ袋の口を縛りながら、新しい彼女との生活を想像する。早く来ないだろうか。 僕の彼女はいつも冷え性だ。
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