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桜吹雪
「時が経つのは早いですね。」
節くれだった手に触れてしんなりと見上げた先には
だらしのない男の顔。
つうと甲をなぞってみせたら私の手を強く握り
締める。
口元にはほんのり笑みを浮かべながらも、心の中は
冷え切っていた。
「また会いに来るよ。」
「ほんとうですか?」
「ああ、本当だとも。」
「約束ですよ。」
男は何度も頷いて大門を潜って行く。
その少し丸まった背中を見送っていたら、とたんに
可笑しくなった。
もう二度とあの男が客として現れないことを私は
知っていたから。
同じように別れを惜しんでみせる仲間を横目に
見ながら、明け方の吉原を一人歩く。
頬を掠める風は妙にひんやりとしていた。
もう春になったと云うのに。
ざあと音をたてて風が吹き抜ける。
薄紅色の桜の花弁がはらはらと舞っては消えた。
あの花弁のように勝手気ままに風に乗って、どこか
遠くへ行けたらなんて、そんなことを願っていたのはいつのことだったか。
今の私はそんな夢はもう見ない。
花籠の中の花は籠の外では枯れてしまうだけ。
ただ、それだけ。
地べたに張り付いた花弁の上を踏みしめて行く。
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