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『命の恩人』が嘘ではないことは、既にイーサンも他の貴族も理解をしていた。
理由は単純で、アーサーとセオドアが遠い日本の16歳の高校生を『命の恩人』だという嘘を吐く必要がないからだ。
「で、でもイーサン先輩、俺……」
逃げられないことは分かっていても、『命の恩人』と呼ばれることをした記憶などない亜朗が狼狽えるのも仕方ない。
亜朗が不安そうな瞳でイーサンを見上げると、イーサンは「心配するな」と、柔らかく微笑んだ。
「まずは話しを聞いてみたら良いのでは? 人違いなら人違いで、話しの擦り合わせをすれば分かることだ。そうだろう? 」
「ぁ……そ、そうですよね……」
イーサンに言われたことはもっともなこと。
当たり前のことだが、そこに思考が至らないくらい亜朗は混乱していたということだろう。
イーサンの言葉に納得した亜朗は「ょ、よし……、い、行きましょう……! 」と、キリッとイーサンを見詰める返す。
「うん。大丈夫だ、何も心配はない。アーサー様とセオドア様は本当にお優しい方だから」
「は、はい……」
そう言ったイーサン自身、『お優しい方だ』という情報は今の亜朗にとって、たいした気休めにはならないことは承知していた。
それでも、少し後ろ気味に自分の横を歩く不安げな亜朗を放っておくことができなかったのだ。
体は、平均より大きな自分は勿論、自分と身長は変わらないが幾分か細いレジー、自分よりも全体的に小柄ヘンリーなどよりも更に小さい。
しかし、その小さな体に見合わないくらいに意思が強く、器も大きく、誰にでも優しくて丁寧。
大切な人を守ろうとする意志は何があっても揺らがず、それは他の大勢の生徒達がそう思っているようにイーサンにとっても尊敬に値する人物。
そんな亜朗が不安そうにしているのだから、その不安を少しでも払ってあげたいと思うのはイーサンにとっては当たり前のことだった。
イーサンの少し後ろ。
不安そうな面持ちで歩く亜朗はとあることに気付く。
自分の所へ来る時は大きな体躯と長い脚から想像つく通りに一歩一歩が大きかったのが、今は亜朗に合わせて先程より少し歩幅を小さくして歩いてくれているイーサン。
そのことに気付いた亜朗は、イーサンの足元、イーサンの横顔、と視線を移す。
不安から歩幅がどうしても小さくなりがちだった自分への気遣いと、それを実行してくれるイーサンの優しさと我慢強さ。
その事に気付いた亜朗の瞳から不安が消える。
トトッ、と少し足を早めてイーサンに並ぶと「イーサン先輩、歩幅、ありがとうございます♪」と、いつもの笑顔でそう言った。
その声は意識して小さくしたものだったのだろうが、残念ながら静まり返っている講堂内の全員の耳にしっかりと届いていた結果、講堂内のほとんどの生徒と教員が『いつでもどこでも桜岡は桜岡だな〜♪』とほっこりしていたのは亜朗の知らぬことである。
ちなみに、亜朗から笑顔を向けられたイーサンがホッとしたように微笑み返し、2人の間にほのぼのとした空気が流れたのを見たアーサーとセオドアがギリィ……と拳を握り締めたのは、誰も知らぬことである。
「アーサー様、セオドア様、桜岡をお連れいたしました」
イーサンが左手をお腹、右手を後ろに回し、頭を下げると亜朗もイーサンに倣ってペコリと頭を下げる。
アーサーとセオドアから「うん」という返事があったことが、発言が許されたということらしく、イーサンが亜朗に小さく「挨拶を」と促すと、亜朗はその体勢のまま挨拶の為に口を開く。
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