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今回のエッセーについて
ハッキリ申し上げておくが、私は特に今回の歴史エッセーを執筆したかったわけではない。
私の願いはただひとつ、
斎藤利宗の回想について、先人の成果がきちんと報じられればそれでよかった。
一月四日。
私は全国的に影響の大きい「朝日新聞」の「声欄」に投書することにした。
「声欄」に自分の意見が掲載されれば、とりあえず先人の成果について不十分でも伝えることが出来るだろうと考えた。
残念ながら私の投書が「声」欄に掲載されることはなかった。
私は一月三十一日にも、改めて同様の主旨の投書を「朝日新聞」に投書して今回は、
<当該の記事を書かれた記者の方に、この投稿を見せて欲しい>
と書き添えた。
だが二月に入っても特に連絡はなかった。
私は「朝日新聞」に意見コーナーがあって、直接電話で朝日新聞の社員に意見を伝えることが出来ると知り、二月二日、会社の休憩時間に連絡を入れてみた。
私の主張は次の通り。
<斎藤利宗の回想は、既に大正、平成に高瀬羽皐氏と藤本正行氏によって活字になっている。
「朝日新聞」が新しい「情報」「学説」と報じた内容・・・明智光秀が本能寺の変の際に鳥羽に待機していたなど全て紹介されている。
高瀬羽皐氏、藤本正行氏ら斎藤利宗の回想を伝えた先人の成果についてもきちんと報道して頂きたい>
加えて、
「今回の記事を執筆した記者にお伝え頂きたい」
と告げ、尋ねられるままにこちらの電話番号も教えておいた。
主観ではあるが、電話に出た社員は、ほとんど私の意見に興味を持っていなかったと思う。
高瀬羽皐や藤本正行氏といった著名人の名前を聞いて驚くことも聞き返すこともなかった。
その後、「朝日新聞」より電話やメールで連絡が入ることもなかった。
このままでは、高瀬羽皐氏や藤本正行氏が斎藤利宗の回想を紹介した功績が無視されてしまう。
それがこのエッセーを発表した理由である。
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