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付録① 「斎藤利宗の回想」の報道について
今回、斎藤利宗の回想を巡る報道について、自分の考えを述べておきたいと思う。
①「朝日新聞」等は「乙夜之書物」に収録されていた斎藤利宗の回想の内容が明らかになり、
「明智光秀が本能寺の変のときに鳥羽に待機していた」
等の新情報が明らかになったと報道した。
しかし斎藤利宗の回想自体は、1921(大正十)年に高瀬羽皐が自分の主宰する雑誌「刀剣と歴史」に「本能寺遺談」と題して掲載している。
「明智光秀が本能寺の変のときに鳥羽に待機していた」
等今回発表された斎藤利宗の回想とかなりの部分で一致する。
2010年にも藤本正行氏が著書『本能寺の変』で改めて要約を紹介している。
「本能寺の変のときの光秀の鳥羽での待機」は共通して紹介されている。
今回、新しい「学説」が出てきたと強調して報道するのは正確ではないと考えている。
1921年、2010年に活字になっているエピソードが、どうして「新情報」や新しい「学説」になるのか?
②「朝日新聞」には投書、直接の電話連絡で①の内容について説明したにも関わらず、先人の成果が補足されることはなかった。
こちらへ連絡自体なかった。
「朝日新聞」は常々、社説や「天声人語」で、どこからか引っ張り出してきた先人の言動を紹介したうえ、政府関係者や与党系政治家に対して、
「先人に学べ」
と教え諭していたと記憶する。
今回、非常に違和感のある対応だと感じた。
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