織田信長と本能寺の変を簡単に説明する!

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織田信長と本能寺の変を簡単に説明する!

 まず織田信長(おだのぶなが)本能寺(ほんのうじ)(へん)について最小限のポイントを押さえておきたい。  長年、僕が愛用している学研の『歴史・地理事典』から「織田信長」の項目を見てみよう。  なお月日を追加していること。  今後、このエッセーで資料から引用の場合、原文を損なわない程度に用語、漢字、振り仮名、送り仮名を一部変更している場合があることをご了承願いたい。  織田信長(おだのぶなが) 1534~82  ◇織田信長の重要事項   ・・・天下統一事業、室町幕府の滅亡、安土城、楽市・楽座  ◆尾張の戦国大名。  ◇〔経歴〕 桶狭間の戦いの後急速に勢力を伸ばし京都にのぼる。 1573年室町幕府を滅ぼし、1576年安土城を築いて本拠とした。 1582年京都の本能寺で明智光秀(あけちみつひで)に襲われて自害した。 〔業績〕 ◎安土に楽市楽座の制を敷き関所を廃止して商工業者を保護した。 ◎キリスト教を保護して南蛮貿易を進めた。 ◎長篠の戦で鉄砲を使い、戦術に変化をもたらした。  次に織田信長が最期を迎えた本能寺の変についても簡単に説明したい。 本能寺(ほんのうじ)(へん) ◆1582年6月、明智光秀(あけちみつひで)が、京都の本能寺に滞在中の織田信長(おだのぶなが)を襲撃し、信長を自殺させた事件。 ◇全国統一の事業を進めていた信長は、毛利氏討伐に中国地方に遠征していた羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉(ひでよし)を助けるため軍を進める途中、本能寺で家臣の光秀に襲われた。 <結果>信長の事業は挫折するが、秀吉が光秀を破り後を継いだ。  最後に本能寺の変のもうひとりの主人公であり、2020年度のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主役でもある明智惟任光秀(あけたこれとうみつひで)についても改めて紹介したい。 明智光秀(あけちみつひで) 1526~1582(倉橋注・諸説あり) ◆織田信長(おだのぶなが)の武将。 ◇丹波(たんば)(京都府)の亀山城主(かめやまじょうしゆ)で、1582年6月京都本能寺(きょうとほんのうじ)に信長を襲って殺した(本能寺(ほんのうじ)(へん))。  数日後、山崎(やまざき)(たたかい)で敗れ、近江坂本に逃れる途中、土民によって殺された。
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