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この閨には流水に蓮が描かれた遠州行燈がひとつあって、シロさんの手元を照らすために火袋を回してある。
わっち側は蓮の花色にほんのりと光り、シロさんの側はむき出しの火の明かりが赤く揺れ、それぞれに濃さの違う影を背後に落としていた。
八畳間の四隅には闇が黒々とわだかまり、まぁるく切り取られた光の境界の中に、まるでわっちとシロさんが二人きりで閉じ込められているかのようだ。
「……何にも聞こえない……で、ありんすね」
静かすぎる夜は、何かが起こりそうで怖い。そういう怯えから出た台詞だったが、シロさんは逆に、わっちを見て優しく微笑みかけた。
「ああ、良い夜だな」
ふわんと胸が温かくなる。
すぐそこにシロさんがいる。ただそれだけで何ひとつ怖いことは無いような気がする。子供の頃からそうだったし、これから先もきっとそうだ。
「あい、いい夜でありんす……」
シロさんは、『七國屋』の用心棒だ。
いったい何から何を守っているのか、『用心棒』とは名ばかりで、髪結いでも着付けでもどんな雑用でもこなしている。いずれにしても大の男がわっちのような禿にかしずいている図など、江戸吉原どころか京の島原・新町でも見られまい。姐さんが言うには、この立派な大男は女を抱けない不能なのだとか。
シロさんの本当の名前はコウタとかコウスケとかいうらしいけれど、廓の誰もがそうは呼ばない。まだ若いのに雪をかぶったような白髪をしていて、そこからシロコウとかシロスケなんて渾名され、いつしかシロという通り名が定着したのだという。
体は大きいが鈍重ではない。いつでも滑らかに、しなやかに、静かに動く。狩りをする獣に似て、動く時に無駄な音をほとんど立てないから、はっと気づいた時にはもうそばに控えている。
でっかい猫みたいだとわっちは思う。……よく懐いた可愛い白猫。この大男を可愛いなんて思うのは、もしかしたらわっちだけかもしれないけれど。
その色の無い髪が一筋、ぱらりと落ちて顔にかかった。かきあげて、ついと耳にかけてやる。下を向いていたシロさんはふっとわっちを見上げた。大きな口の端っこがほんの少し笑んでいた。
「シロ」
わっちはたまに、わざとらしく犬猫を呼ぶ口調で呼び捨ててみることがある。
「シロや」
「ん、なんだい」
シロさんは何と呼ばれても、いつも通りに背を丸めて低い位置からわっちを見上げる。
「たばこ」
短く言うと、その太い首が縦に動いた。
そっとわっちの足を膝から下ろし、爪の粉を集めた匂い紙を小さく折り畳む。それを大事そうに懐にしまいながら、シロさんは立ち上がった。茶鼠の裾をすいと揺らして、裸足の足が向こうへ回る。
行燈が照らしているのは、二人のいる八畳間のほんの真ん中あたりだけだ。うっすらと引かれた光と闇の境界線から外へ踏み出し、シロさんの足が墨色の空間に消えた。
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