薄紅の夜

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 頭に置かれていた手が、すっと離れた。  シロさんはいつも通りに、優しいだけの熱のこもらない声で、わっちに謝った。 「すまない、捨吉。俺のは役立たずなんだ」  知っている。もしも不能じゃなかったら、遊女や禿の世話なんて大の男にさせるはずがない。何も間違いを起こさない男だから、わっちの足も、わっちの髪も、好きに触れるのだ。  でも、それなら指でもいい。体中を撫でまわし、太くて長いその指を体の真ん中に突き刺して欲しい。わっちの中に一番初めに入ってくるのは、他の誰でもなくシロさんがいい。わっちを女にしてくれるのは他の誰でもなくシロさんがいい。  心の望みを口にしてしまえば、もしかしたら叶うのかもしれない。叫んですがって頼み込めば、きっと拒まれやしないだろう。シロさんはどこまでも優しい男だ。  でも、それから?  それからどうなる?  一番好きな男に触ってもらって、体の奥でその幸せを知ってしまって、その先をどうする……?  わっちは七國屋の遊女になる。その事実は変えられない。 「ではせめて、介添えをお願いしんす」  にっこりと、わっちは微笑んで見せた。 「捨吉……介添えは姐さん方がするものだろう」  禿の水揚げには、姉女郎や遣り手、ときには他の禿が介添えをする。房事をすぐ横で見ていて、そばでいろいろと教えるために、肩を抱いて気を落ち着かせるために、もしくは逃げ出さないよう押さえつけ言い聞かせるために。 「シロさんじゃなきゃいや」 「捨吉……」 「ねぇ、シロさん。シロさんはわっちの肩を後ろから抱いていてくんなまし。わっちが一人前の女になるのをその目でちゃんと見ていてくんなまし」  シロさんのきれいな目。  わっちは必死にその目を探る。  ここまできわどいことを言ってもなお、その目の中にわっちの欲しいものは見いだせなかった。 「分かった」  シロさんは優しくうなずく。  その目の中に熱はない。  わっちに対する熱はない。 「その時は手を握っていてやろう。安心しろ。何も怖くはないからな」  嗚呼。  一番言われたくない言葉を、慈愛に満ちた声で言われてしまった。  シロさんは、ひどい。  誰よりも優しくするくせに、本当の意味では優しくしない。  欲しいものはないかと聞くくせに、欲しいものを与えてくれない。  わっちの心を強く捕らえておきながら、そのことには気付きもしないで……。 「……ありがとう、ございんす」  平気な顔をするはずが、不自然に声が震えてしまった。  シロさんはただ穏やかに熱の無い目で、いつも通りに微笑んでいた。  行燈に照らされたわっちの手のひらには、桜の花びらが寂しく乗っている。捨てるに捨てられないちぎれた薄紅をきゅっと握って、わっちはそっと懐に入れた。 ・
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