薄紅の夜

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 禿が新造となり、初めて客を取ることを吉原では『突き出し』と言う。たいていの廓では、新しい遊女は突き出しの前に房事を教わる。手練手管(てれんてくだ)をしっかり身につけ、一人前の遊女となってから客と寝るのだ。未通女(おぼこ)のまま客を取ると言うことは、ほとんどありえなかった。 「普通はね、見世の主人か常連の客が手取り足取りしてくれるものらしいのだけれど、おとさまは近頃体が弱っているから出来ないのだって。それにわっちはおとさまの娘みたいなものだから、望みがあるなら聞いてやるって」  わっちは器量が良かったせいか、それとも手ずから育てて情が移ったせいか、他の禿よりもずっとおとさまに贔屓(ひいき)されている。まだ客も取らない禿のくせに、八畳間を使えているのもそのおかげだ。娘のように思っているというのも、おとさまの中では嘘ではないのだろう。けれども、わっちが血を分けた本当の娘だったなら、けして身を売る遊女なぞにはするまいに……。  わっちは遊女になるという意味をよく分かっていた。毎夜お客とどういうことをするのかを、全部ちゃんと知っていた。姐さん方とお客のそれ(・・)を幾度も目にしたことがあったからだ。あれはきっと、幼いわっちをからかってわざと見せつけていたのだろう。廓で育つ子は早くから色を学ぶ。けして初心(うぶ)なままではいられない。 「シロさんはどう思いなんすか?」  わっちは何でもないことを話すような声で言った。 「顔の良し悪しなんてわっちはどうでもいいのだけれど、役者の方が慣れているかしら」  役者には色を売る者も多いと聞く。そういう輩から教えられるのもいいかも知れない。どうせ誰と寝るのもわっちにとっては同じこと……たった一人の男を除いては。  じっとシロさんの目をみつめる。シロさんの目はきれいだ。漆を塗ったように黒々と艶光りする。行燈の光の中でその目の奥を懸命に覗き込んでも、わっちの期待した色は浮かんではくれなかった。 「そとの男はやめたがいいだろう。面倒があるといけない」  落ち着いた声でシロさんは言った。 「……そうだね」  落ち着いた声でわっちも答えた。 「やはり見世の若いものらが適当だろうな」 「……そう……でありんすね」  きれいな、きれいなシロさんの目。みつめていると、少しだけ息が苦しくなる。 「ふうむ、そうだな……。太一か、三郎にでも頼んでみようか」  表情の変わらないシロさん。  何だか見ていられなくなって、わっちはうつむいてしまった。 「大丈夫だ、捨吉。あいつらなら慣れているし、決まった女がいるからその後しつこくされることもない」  これ以上ないくらいに優しい声を出して、シロさんはわっちの頭を撫ぜた。  大きなその手の温度が伝わる。  残酷な温かさに泣きそうになる。  言わないつもりだった言葉が、口の端からぽろりとこぼれた。 「シロさんは……? シロさんが相手ではだめ……?」
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