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きっと理由があるに違いない
「機嫌悪いなあ」
「ほっといてくださいよ。頼まれてた請求書は全部発行してフォルダに保存しました。チェックしといてください」
「はいはい。追加で報告書五件よろしく」
「……なんで一個しか終わってないのにおかわりが五個も来るんですか?」
「がーんばってねー。コーヒーいる?」
「タバスコ入りじゃなかったら」
「それは知らないけど」
「何言ってるかさっぱりなんですが」
「僕の飲みかけとどっちがいい?」
「ノー、セクハラ!」
レオノーラは吠えるように言って上司を追い払う。エルドレッドは二つ持っていたうちの片方のコーヒーカップをレオノーラのデスクに置いて、さっさと席に戻って行った。
「もう、いらないですってば!」
「そういえばフィネガン氏との打ち合わせ、明日の十四時に変更になったから。打ち合わせの資料は今日中に回して」
それは来週の予定だったはず、という言葉は、呑みこんだ。鬼上司でなくとも、顧客優先なのはどこの会社も変わらない。資料の準備だけでなく、スケジュール登録の変更、会議室の手配、やるべきことは山のようにある。
「一応君にも出てほしいんだけど……ああ、変な面談が入ってるのって十四時だっけ?」
「……もうなくなりました」
「へえ?」
「さっき連絡があったんです。用事があるからまた来週にしてくれって。だから、明日の打ち合わせは出ます」
キャンセルの連絡にがっかりしてしまい、返信する気力さえ失せていたのだが、こうして悩む時間も惜しい。レオノーラは、簡潔に、承知いたしましたといったことだけを書いてメールを返した。
「だからそんなに機嫌悪いんだ」
「いちいち私の顔色観察なさってご感想を述べて頂かなくて結構ですけど」
「まあ、そう怒らないで。お医者さんなんだから、急なオペが入ったのかもしれないし」
「精神科の方ですけどね」
「学会に呼ばれたのかも」
「医療ドラマじゃないんだから」
「恋人とデートの約束してたのをすっかり忘れてたとか」
「平日の昼間! ていうか患者優先して!」
上司のいつものでたらめだというのに、無駄に苛々してしまう。いけない。これは良くない。レオノーラの知り得ないような、医者の事情があるのかもしれない。そうだ、そうに違いない。こっそり「精神科医 急なキャンセル」で調べてみたら、患者さんのキャンセルはお断りしますと書かれたページが大量に出てきたことにも、怒りを覚えてはいけない。私じゃなくて先生がキャンセルしてきたんだけどとは、思ってはいけない。
大人になれ、私。
「あ、新規案件五十四件来た。メール転送するから今日中にデータ入力よろしく」
「ごじゅうよん」
めげてはいけない。頑張れ、私。
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