十四時十四分

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十四時十四分

 一週間後、十四時十五分。  エルドレッドはブラックコーヒーを飲みながら、ちらりと部下のデスクを見る。  目に見えるのではないかと錯覚するほど険悪な空気を放っている彼女は、自らのデスクに突っ伏しているようだ。仕事が立て込んでいるからではない。この日、この時間、彼女には予定があったはずではなかったか。鬼だ悪魔だと罵られるエルドレッドはしかし、部下の仕事の内容とスケジュールの把握を怠らない。 「時間、過ぎてるけど?」  そう声をかけてみても、いまひとつ反応がない。普段の仕事を忘れていたのであれば悲鳴を上げながら元気よく起き上がるところだが、これほど鈍いのは珍しい。 「あれだけアポに手間かけといて、君、すっぽかしたの?」  挑発するような上司の物言いに、ようやく、呪いの声が上がる。 「……違いますよ」 「何が」 「私がすっぽかしたんじゃなくて……向こうがすっぽかしたんです!」  レオノーラが勢いよく立ち上がり、耐えきれないとばかりに叫んだ。 「今日用事あるから、面談なしでお願いします。っていうメールの時間! 十四時十四分! 約束の時間十四時! 過ぎてる! 過ぎてからドタキャンなんて、友達と遊ぶ約束でやってもアウトですよ。しかも二回目ですよ。もうこの人完全に私に会う気ないでしょ。仕事する気ないでしょ!」  あまりの事態とレオノーラの怒りっぷりに、エルドレッドは笑いをこらえて肩を震わせていた。コーヒーは手放した方が良さそうだ。 「で? また来週?」  その上司の一言で、レオノーラは、はたと気が付いたように席についた。どうやら怒りのあまり最後までメールを読んでいなかったらしい。丁寧に声に出して読み上げた。 「初診でオンラインはやっぱり良くないと思うので、お近くの精神科医を紹介します」  静まり返ったオフィスに、ぶふ、とエルドレッドが吹きだした声がやけに響いて聞こえた。そして次の瞬間。 「だったら最初から言えー!」  レオノーラがデスクに両手を叩きつけた。エルドレッドの笑い声が高くなる。 「業務時間中にやりとりしてんのよ、こっちは! こうしてる時間だってお給料出てんのよ! あんた暇なの? じゃあ診断とかいらないから仕事手伝ってくれない? オンラインが医者の視点から見てダメなら最初からはっきり言って、他のお医者さん紹介してくれたらよかったんじゃないの? なんで当日に約束の時間過ぎてからそんなこと言うの?……エルドレッドさん、笑いすぎです!」  基本的にはクールで、あまり声を上げて笑わないエルドレッドが、おかしくてたまらないという様子で身をよじっているのを見たレオノーラは、まさに火に油を注がれたような心持なのだろう。我慢できないとばかりにじたばたしている。まるで幼児が駄々をこねているようだ。 「いや、だって、君、まだ会ってもいないのに嫌われ過ぎてて……!」 「嫌われる要素ないですから! 向こうが勝手にすっぽかしてきただけですから! ていうかそもそもの原因あんただから! 笑ってんじゃないわよ!」 「勘弁して……! 笑いすぎて死ぬ……!」 「この悪魔!」  ひとしきり笑って腹をさすりながら、エルドレッドは背筋を伸ばした。笑いすぎて涙が出ていたので、指で拭う。 「僕はその医者、優秀だと思うなあ」 「はあ?」 「病んでる人間のパワーじゃないから、君のそれ。メール通してばれたんじゃないの?」  これがとどめになった。 「元凶に言われたくない!」  飛んできたペンケースをさらりとかわした。 ***  レオノーラは結局、オフィスから歩いて十分のところにある精神科を紹介された。行ってみたところ、仕事量の多さがストレスの主な原因であると断言された後、こう言われた。 「仕事の量が多いなら、勇気を出して自分で上司の方にかけあってみてください」  これを報告されたエルドレッドがまたしても抱腹絶倒したことは、言うまでもない。 了
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