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夜に迷う
大人になって、当たり前のことしか起こらなくなった。
酒の勢いでそう口にしたら、高校の友人たちにいたく笑われた。まあ、わかる。俺だって、他人の口から聞いたら笑うだろう。青臭いというかかっこ悪いというか、端的に言えばイタい。
でも、笑うしかない、っていう側面もきっとあるんだろうなと思う。だって、多かれ少なかれ、みんな同じことを感じているんだろうから。
実際のところ、子供のころは特別なことが起こっていたのかと言えば、決してそんなことはない。学校に行って、友達と遊んで、勉強して、部活やクラブで練習して、それくらい。今と大差ない、繰り返しの毎日だ。でもなぜだろう、あの頃は世界がもっと輝いていたような気がする。
ごくありふれた感傷なんだろうけど。
大学を卒業して、社会人になって。自分の気持ちだけを置き去りにして、自分も世界も変わっていく。
小さな小さなことだけど、最近になってSNSへの投稿が減ってきた気がする。
自分のではない。友人たち、あるいはフォロワーたちの話だ。学生時代は毎日あんなに賑わっていたのに、今やタイムラインの流速はかつての十分の一以下。
頻度が減っただけではない。毎日のように「絶望の起床」とつぶやいていた彼も、「結婚しました!」。旅行先での自撮り写真を上げまくっていた彼女も、「子ども生まれました!」。なんというか、「人生」を着実に進めているらしい。
こんなことを考えてしまうのも、今日の飲み会のせいだ。学生時代の友達連中で集まっても、話題は仕事か結婚か、繰り返しすぎていい加減擦り切れつつある思い出話。
まあ、それが楽しいんだけどさ。
センチメンタルぶった気持ちを振り切るように、起動していたSNSアプリをスワイプして消し飛ばす。地図アプリを開いて現在地を確認するが、家まではまだだいぶ遠かった。タッチの差で終電を逃したことが悔やまれる。一つ隣の藤沢駅まで帰ってこられただけよかったが、歩き慣れない帰り道は物理的にも精神的にも相当長い。酔いもとうに覚め、画面に表示した地図を睨みながら黙々と歩く。
境川沿いの道は街灯も少なく、スマホの光が目に刺さるように暗い。画面の明るさを調整しようとしたとき、
「こんばんは。迷子ですか?」
急に声をかけられて飛び上がった。
振り返ると、若い女が立っていた。俺と同い年か、少し年下だろうか。特徴の薄いワンピース姿で手を後ろに組み、意外にも理知的な顔立ちの中で二つの目だけがなぜかやたらと爛々しているのが印象的に感じる。というか、ばっちり目があってしまった。急に声をかけてきたよくわからん女と。
というかそもそも、全然、迷子じゃない。
女はわずかに首を傾げて、俺の背後を指差す。つられてもう一度振り返ると、さっきまで普通に道が伸びていたところには、真っ暗なトンネルが口を開けていた。慌てて地図を見ると、現在地を示す円が江の島あたりまで大きく広がっている。ゆっくり向き直ると、女は首を傾げたまま意味不明に笑っていた。
どうやら、迷子になったらしい。
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