嘘つきなY

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「さ、触んな……」 「前髪伸びたな。切らないの?」 「……切らない」 お前がそうやって、俺を惑わすようなことするから、切れないんだよ。 「まあ……顔が隠れてちょうどいいか」 小さく独りごちた湯川が、俺の耳元に顔を寄せる。 熱い息と甘ったるい声が、わざとらしく俺の耳奥に吹き込まれる。 「今年のルール、実は俺が決めたんだ」 こういう時の湯川は、本当に苦手で。 「……っ」 見つめられた瞳に、俺は何も返せないまま、受付の長机に置かれた参加用紙に慌ててペンを走らせる。 「ルールはね、」 動揺する俺に気づいているのか、いないのか。薄く笑った隣の湯川は、俺と同じように名前を書きながら、不意に空いた右手で俺の左手をそっと握りしめた。 「最後まで手を離さないこと」 その手が全く嫌じゃないことも、言いようの無い緊張が襲ってきていることも。 悟られたくないのに。名前を記入する手が、僅かに震える。 ──サガミ ユカ 嘘つきなこの名前は、俺の動揺を紛らわしてくれるだろうか。 「簡単だろ?」 ほくそ笑むこいつは、間違いなく俺にとって今一番危険なペアだと分かってる。 なのに。 近付かれる分だけ毒を盛られたみたいに、俺の思考は麻痺してきている。こいつの一挙手一投足に、心が乱されているのが分かる。 「それではYのペアさんは、これでお互いの手首を結んでくださいね!」 お化け屋敷の入り口で、女性に差し出された一枚の赤いバンダナを湯川が受け取る。 握りしめたままの手は、秋なのに熱くて、うっすら汗が滲みはじめていた。 「ゆかちん、暑い?」 湯川が器用に手首にバンダナを巻きながら、俺の顔を覗き込んだ。 「別に……」 目を逸らすと、湯川が嬉しそうに含み笑う。 「やっぱり、前髪切らなくて正解だ」 「なん、だよ……いきなり」 「ゆかちんの顔が赤いの、他の奴に見られなくて済むから」 「……うるさい」 まるで、こいつはお化け屋敷みたいだ。 怖くて、踏み込むのを躊躇うのに。 入らざるを得ない。 逃げ道なんて無い。 一度入れば、その魅力に取り憑かれてしまう。 「お待たせしました〜! Yのペアさん、どうぞ〜!」 入り口のカーテンが開かれ、担当の女性が俺たちを真っ暗な室内へと促す。 「ゆかちん、行こうか」 湯川が俺の手を引く。 繋いだままの手が僅かに離され、指と指の隙間を埋めるように長い指が絡められていく。 「離せよ……バカ」 一歩足を踏み出す。 見つめた背中は、期待通り振り返る。 「俺がゆかちんを離すわけないじゃん」 たぶん。俺はもう、お前から逃げられる気がしないよ。 fin
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