走れ走れ走れ!

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 多摩川のほとりの河川敷はどこまでも伸びるみたいだった。ひたすらバイクを走らせていたのだが、アスカは今、立ち止まっていた。 「なんじゃこりゃ」  バイクで何かを轢いたと思ったら青い宝石のようなものだった。しかし、恐らく本物ではないだろう。安っぽい光を放っているから。  急いでいたものだから、珠を放り投げてしまった。しかも、多摩川のほとりにである。珠はぐんぐんと沈み込み、しまいに見えなくなった。 「あ、由香のお土産にしてやれば良かったな」  バイクに乗り込みかけて、苦笑する。「わあ、姉ちゃんありがとー!」と言って大喜びする姿が目に浮かぶようだった。  アスカはため息を吐いて目を開ける。 「でも、今はそんな場合じゃない」  インフルエンザで、きっと立てないだろう。  巨大不未確認生物が何かの間違いで東京の反対側に進行すれば妹は踏みつぶされるかもしれない。  家は江戸川区にあるから、多摩とは真逆の方向。今、こうして東京湾添いを迂回しているのは右側がどこまでもがれきの山になっており、橋には交通規制が掛かっているからだ。  バイクでは渡れない。 「のわっ?」  アスカは叫び声を上げた。  完全に油断していた。  怪獣も魔王も隕石も、もう遠い物だと考えていた。  だが、向こうが明らかに常識を逸したものだという事実に全く考えが及ばなかった。そりゃあ、ビームくらい撃つのである。  しかも、ほとんどアスカを狙い澄ましたようなタイミングと位置で。  網膜が焼け付くような閃光だった。  白が混じったオレンジ色の、鋭い光。  花火をいくら詰め込んだって敵わないことだろう。  アスカはバイクごと吹っ飛ばされて行った。  ここで、追撃がくれば明らかにアスカを狙ったものだと分かったが、そうではないようだった。怪獣はそこかしこにビームを撃ち始めたのだ。アスカはバイクの無事をまず確認した。バイクは多少傷ついていたが、問題なく走るようだ。  黒いバイクを無理矢理 立たせて前を見る。  道路が全て、焼けただれていた……。 「ど、どうすれば」  立ち尽くし、その光景を見る。  マグマのように発熱するコンクリ―トが左に向かって伸びている。もっと遠回りする必要がある。  アスカは左を向いた。ここからは、怪獣に近づいて行く必要があるが、怪獣はビームを四方に撃ちまくっている。  近づくのは危険だ。  かといって、マグマのようになっている道路を渡って行くことは恐らく出来ない。タイヤが焼けただれてバイクがおしゃかになる。アスカは立ち尽くし、考え込んだ。  迷ったのは数秒だった。  アスカはバイクを怪獣の方へと向け、走り出す。  グリップはもちろんフルスロットルだ。  交通規制はすでに撤収していた。  近づくのすら危ないという判断からだろう。  アスカのバイクは勢い込んで走り続ける。エンジンが黒煙を上げる気配。明らかに気温が上昇している。それがバイクのエンジンに負荷を掛けているのかもしれない。大事な愛車だ。 「悪いな。もうちょい我慢してくれ」  バイクに笑いかけると、バイクは一言、うおん、と答えた。  左右をビームが駆け抜けて行く。  時折ビルが崩れて来るような気配がした。その度に、立ち止まるのではなく、それ以上にスピードを上げた。フルスロットルのはずだったが、更に上を行くようだった。この熱気がエンジンを加速させているのかもしれあい。  アスカはひたすら走り続けた。  ふと、ユタカの顔を思い浮かべる。  あいつも、大事な人の所に向かっているはずだ。  必然的に、ここに突っ込んで来るかもしれない。 「本当に馬鹿みたい」  それは自分に言ったのかもしれないし、あの不気味な少年に言ったのかもしれない。とにかく、誰にも死んで欲しくなかった。  死地に突っ込んで行くというのに、死にたく無かった。  不思議な矛盾だと思いながらも、アスカは笑い始めていた。  ライダーズハイという奴だろうか。今の彼女にはどこが安全で、どこが危険なのか分かっていた。必要なら進路も変えたし、道も逸れた。  それでも、ちゃくちゃくと目的地は近づいて行く。  壮絶なスピードで駆けたせいか、数分となかったような気がした。江戸川区も目と鼻の先にある荒川の直前。  橋が全て、寸断されていた……。  ビームが橋を壊したのだろう。ここからは更に迂回する必要が出て来る。アスカは膝を屈しそうになった。  だが、胸の中にある小さな希望の糸をたぐった。  荒川を昇って行けば総武本線があるはずだ。総武本線をバイクで駆け抜ければ、江戸川区に渡ることが出来るはずだ。  右には大きな河川、左には巨大な生き物。  どちらも人間のちっぽけな力ではどうにもならない象徴のようなものだ。  だが、進むことは出来る。  かいくぐることは出来る。  照りつける太陽に身を焼かれるような気分になりながら、アスカはひたすらバイクを走らせ続けた。  時折頭上をビームが通って行く。  つむじの辺りが熱くなることもあった。  その度に心臓が冷たくなる。   かちり、かちり、歯と歯がぶつかりあう音。  それでも、ハンドルを握る手はいささかも緩まなかった。  やがて、京葉道路も寸断されているのを確認した。  怪獣は本当に見境なく攻撃している。  特に海や河川に向かっての攻撃には熾烈な物がある。まるで、その付近にある交通インフラを意図的に潰しているような様子だ。  車への攻撃も何故か多いような気がする。 「何だって、そんなはた迷惑な……」  アスカは苛立たし気に吐き捨てた。  バイクのガソリンも心配になって来た頃、荒川グラウンドが近づいて来た。  扇状の人工芝と観客席が横目に見えた。アスカは少し進路を変えて、その横を通り抜けて行く。  ひたすら続くように思えた道路もようやく終わりに近づいた。荒川駅が見えて来る。  人はいない。  がらんとしている。  駅は古い役場のような風情である。  アスカはバイクを降りるか迷ったが、そのまま改札を抜けることにした。改札は非常に狭かったが、きゅうきゅうとしながら通り抜けるとその狭さも遠い昔の物になる。  アスカの精神は恐らく未来を駆けていたのではないか。  駆け抜けすぎて、忘れていたのではないか。  総武本線がまだ撃ち抜かれていないという事は、これから撃ち抜かれる可能性が高い、ということである。  そして、それは間もなく、現実の物となった。  しかし、不幸中の幸いだったのはそれが直撃でないことだった。  アスカの前方にオレンジ色の柱が斜めに刺さったかと思うと、アスカはバイクと一緒に真後ろへと吹き飛んで行った。  ふっと、精神が水面に溶けるような感覚がアスカを襲った。  
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