走れ走れ走れ!

1/7
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/39ページ

走れ走れ走れ!

第一章 走れ走れ走れ! 1 『俺、死のうと思うんだ』 「有罪、まじ有罪。自殺したら有罪。そこにいろカズト、俺が行くまで死ぬんじゃねえぞ」  スマホを握る南斗ユタカの胸は大きく波打っていた。  怒りのためである。  こんなに怒ったのは始めてかもしれないし、それ以上に呆れてものも言えないという経験も初めてだった。  思えば今日は変な日だった。  お気に入りの美人ニュースキャスターが、  『本日、日本上空に巨大隕石が都心部に降って来る確率が高いと政府が発表しました。まだ、シェルターに避難していない都心部の皆さんは云々……』  気に入らない国防省の高飛車女が、 『本日、東京湾に巨大な怪獣が上陸するという情報が入りました。自衛隊の害獣駆除目的での出動が検討されて云々……』  外から野太い声で、 『人間ども、よくも異世界に男子高校生やリーマンやニートを送り込んでくれたな! 貴様らのせいで、商売上がったりだ。こうなれば、この世界の男子高校生とリーマンとニートを駆逐して云々……』  まあ、つまり外に出るなという事なのだが。 「んな、悠長なこと言ってられるか馬鹿野郎!」  黒いコート、黒いチョーカー、黒いシャツ、黒いジーンズ。厨二病を極めた男、南斗ユタカはボロアパートを後にした。  蟻を蹴散らすような猛烈な走り。  これ以上無いんじゃないかって言うくらい蒼白な顔。  ぶさいくでもないが、整ってもいない地味な顔。  しかし、必死に鼻を膨らませているから結局不細工な顔。  最近、筋トレを始めたせいか体系は整っているが、少し前は豚だった。  そう、豚みたいな男だったのだ。  だが、そんな豚だって生きている。  人の目なんか気にする必要ないではないか。   というのが、南斗ユタカの思想であり、彼の黒歴史ノートに刻まれた微笑ましい信条なのである。  ボロアパートの階段は全力で踏みしめると底が抜けそうだったが、さすがに気遣っている余裕も無かった。  豚のままだったら、恐らく底が抜けていたのだろう。階段はギシギシ言っていた。  ここは多摩、某大学があることと有名なラーメンの店があること以外は特に特徴のない東京の端である。  ちなみに、崇拝すべき某ライトノベル作家はここをモチーフに某ライトノベルを書いていたという。  アパートを出て、大通りを走っていると、自分の走りの方向と真逆に人々が群れを作って流れていた。  しかし、コミケ通いで鍛えた足腰、そう簡単には負けないのである。  猪突猛進。  ならぬ豚突妄信。  彼は信じていた。きっとたどり着けると、妄信していたのだ。 「ひゃっはあああああ、人ごみに紛れておっぱいを触ってやったぜ! これだから、人生はやめられねえ」  断じて誓うのだが、流石にユタカ=痴漢の等式は成り立たない。 (こういうとき、決まって助かるのは常識と逆を行く奴だ。家にいたって危険が回避できるもんか)  ユタカは頭の中で考えていた。  これはまさにオタク的知識だったが、現実の文脈にも果たして適用可能であったろうか。 「死ぬなよ。死ぬなよ、カズト!」  もう、息が切れて来ていた。  百メートルと走っていないはずだが、肺が酸素を求めて波打っている。人ごみには慣れても走るのには慣れていないと見える。さっきラーメン次郎を食ったからかもだが、お腹も痛くなって来た。 「おげえ」  一瞬リバースしかけた胃液を必死で押し戻し、ユタカはなおも走った。  気分はマ○オ。  とうとう走り出す人々の頭を飛び越え始めていた。  そうしてようやく奥多摩駅にたどり着くと、また流れに逆らって改札を通り抜けた。すると、警備員が血相を変えて飛んで来た物だから、 「おげえええええ」  ユタカは彼の足元に向かって吐瀉物を吐き出したのだった。虹とか、綺麗な光とかが出るイメージである。  警備員がひるんでいる隙にユタカは駅のホームへと向かった。しかし、当然電車は止まっている訳である。  ユタカは一瞬のうちに判断した。 「よし、モノレールを伝って行こう」  最終手段に近かった。  こういう選択肢は物語の終盤辺りで提示されるのではないか。  まあ、臆す時間は無い。  しかし、サーカスよろしく伝っていく覚悟までは備えていない。赤ちゃんハイハイで貫徹するスタイルである。  当然、自慢の厨二ファッションに、煤は付くわ、埃は付くわ、破れるわである。  あいつに服の代金は持たせようと思いながら、ユタカはすっす、すっす進んで行くのである。その遅々とした歩みと来たらナメクジもかくや。豚よりひどい。  ユタカの豊かな腹の贅肉が切れ始め、血がにじみ始めた頃、ようやく目的の駅に近づいたのだが、 「無間地獄かよ……」  ホームに人が大挙して、阿鼻叫喚である。  おまけに横を見ると、首都を蹂躙する怪獣が見えたのである。 「ほえっ」  ニュースでやってはいたものの、実際に目で見るまで信じられなかった。巨大な怪獣がビームを吐きながら東京の中心で暴れ回っていた。  当然、奥多摩と反対側にある友人宅へと通り過ぎるのにはかなりの危険があるはずだ。  というか、自衛隊とかが交通規制をしているはずだから、そもそも通れない可能性も高い。  それでも、ユタカは歯を食いしばって進み続けるのである。  やはり、ここで役に立つのはコミケでの経験。  人ごみをかきわけ、流されないように。  汗の匂いがむわっと匂ったが、夏コミの時に比べると数万倍マシである。女性の香水の匂いとか混じってるし、マジで。  と思ったら、隣りでずっと舌打ちをしている厚化粧のばばあの匂いだったのはご愛嬌である。  当然、ユタカの方が常識的に見ればイレギュラーなのであるから、舌打ちされたって文句は言えないのである。 「すいません、すいまそん、すんません、すんまそん」  と、微妙に品を変えながら謝り続け、ようやくユタカはホームに出ることが出来たのである。  ホームはすでにがらんとしていた。  ユタカはようやっと落ち着いた気分になったのだが、これから線路伝いに走り続けなければならないのである。  銀色のレールに飛び乗って、ユタカは「しゅばっ」と効果音をしゃべる。  その後、両手を広げてきーんと走り出す。  ユーモアを失わない豊かなのである。  ユーモア豊かなユタカである。  ……もうこの駄洒落はやめよう。  東京は狭いとは言え、たった一日、徒歩で横断できる程の距離ではない。だから、交通手段は絶対に必要なのである。  だが、交通インフラは全て止まっているから、何らかの手を打たなければならない。  タクシー、とか?  バイク、とか?  何分間、走り続けただろうか、  アドレナリンでハイになったのか、疲れが身体を襲うことは無かった。  だが、東京駅は見えてさえ来ない。  普段すぐ着くから忘れがちだが、電車でも四十分かかる道のりを走っているのだからしょうがない。  そもそも、  京王線が見えて来ると同時、自衛隊らしき一団が交通統制を敷いていたのが見えた。 「なん、だと……」
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!