攻撃、攻撃、また攻撃

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ある梅雨の隙間の晴れ日、夏を思わせる濃い青空に入道雲がそびえ立っていた。 手塩にかけて育てた一人娘の愛美の婚約者のご家族と顔合わせを翌日に控えている。 婚約者には一度新宿にある料亭で会ったことがある、175センチで28歳、職業は医者、婚約者本人だけを見るとそれなりの条件だ。 けれど家庭環境が気に入らない。我が家にはっきりと劣る部分があるのだ。 明日は相手側にその事実を告げ、上下関係をはっきりさせておかなければならない。 明日の決戦を思うと今から少し緊張している。 場所は相手側が用意してくれたターミナル駅前の一等地にある高級ホテルの十階だそうだ。 その個室料亭をネットでチェックし息を吐いた。 出勤時間が迫ってきたことに気づき、自宅マンションの駐輪場にとめてある自転車を漕ぎ出した。 パート先のスーパー「矢萩」へと向かうのだ。 矢萩は常に安さを求めている人種でごった返している、その為仕事はハードだが時給は周りのスーパーに比べて100円高く待遇に満足し仲間にも恵まれ離婚した十年前から働いている。 自転車に乗り向かい風を受けながら考えた。 今日は金曜日でお客さんが増える日だ。相川さんがシフトに入っていなくて良かった。 相川さんは三ヶ月前に入ってきたパートで38歳、私よりも10歳も歳が離れている。 彼女は三回目のパートの時、レジで「5000円」という金額の釣り銭間違いをした。 うちの店長は優しいというか気が弱いと表現した方が的確だろう。なので相川さん本人に弁償させずに口頭注意だけで済ませてしまった。 それが気に障った。 それ以来、相川さんの仕事ぶりをついつい見てしまうことが増える、すると相川さんの粗がどんどん目につくようになる。 お客さんの雑談に応じて後ろのお客さんを待たせたり、かごに詰める時にレジ打ちが遅かったり、ポイントカードを持っていない人に新規作成を進めなかったり、例をあげればキリがない。 その度に相川さんに注意し懇々と指導した。そして休憩室で仲間たちと相川さんの失敗を笑っていた。 だから職場のみんなも相川さんの駄目さをよく知っている。 ふと、前方にゆっくりと歩く幼児連れの夫婦が見えた。自転車も通る歩道なのに我が物顔で歩く家族の非常識さが気に入らない、呼び鈴を鳴らすと強引に追い越した。 夫婦は悲鳴にも似た叫び声をあげ父親が慌てて子供を抱き上げた。 本当に最近の若い親ときたらどこまで非常識なのだろうか、この若い人たちが日本を駄目にしていくのだ。 横断歩道で信号待ちのため止まると今日は私と特に仲が良い田中さんや河岸さんが同じシフトだということを思い出した。 パート前後の休憩室で思う存分相川さんの話ができる、そう思うと胸が高鳴り青信号と共に勢いよく飛び出した。 五分後矢萩に着いた。 次に台風が来たら飛んでいきそうな錆びた屋根付きの駐輪場に自転車を置くと従業員入り口の重い鉄の戸を開ける。 バックヤードの暗い廊下を歩き、6畳ほどの休憩室へと入る。ここではいつもの仲間たちがいつもと変わらず机に座りながら楽しそうに談笑していた。 私もその話の輪に加わろうと鞄をロッカーに置き、声を張り上げた。 「ねぇ聞いてよ、昨日も見たんだけど、相川さんたらまた障害者の旦那さんと一緒に買い物していたのよ」 昨日、話の種を探して相川さんの家の近くのスーパーに行くと案の定、彼女は足が不自由な旦那さんと車椅子を押しながらやってきたのだ。 いつもだったら「あんな旦那さんと一緒に歩いて恥ずかしくないの?」「本当に可哀想な人」と職場の同僚でもあり友人でもある仲間たちが話を繋げてくれる。 けれど今日は違った。私がそう話した瞬間に友人達が口をつぐんでしまった。私が入ってくるまであんなに楽しそうに話をしていたのに。 理解ができずもう一度違う相川さんの話をした。 「相川さんてば、この間もお釣り間違えてお客さんに怒られてたのよ」 しかし、場は静まり返ってしまったままだった。 気のせいか店の全ての人事権を握る本部の社員が来た時のような緊張感が休憩室に漂っている。 数秒後、1番仲が良かったはずの同い年の主婦、田中さんがこの静寂を破った。 「佐藤さん、前から言おうと思ってたけれど相川さんのことばっかり悪く言うのやめてくれない?」 突然の裏切りを受けたが、まだ心がついていけない。田中さんは店では常に私と一緒にいる気心知れた友人のはずだ。 もう五年の付き合いになる、そんな訳はない、必ずまた相川さんの文句を言ってくれるはず。 「……でも相川さんは本当にどうしようない人で、すぐにミスするし、いつもおどおどしてるでしょ?」 いつもはおとなしい29歳の河岸さんが口を開いた。 「確かに相川さんはミスも多いし、佐藤さんはベテランでミスも少ないです。けれどミスなんて全員がしますよね?それに人様の旦那さんに何てこと言ってるんですか?相川さんの旦那さん、交通事故で車椅子になったのに」 河岸さんはそう言い終わると、長年の苦しみから解放されたような晴れやかな表情になった。 35歳、第二子妊娠中の萩原さんも向こうに追随する。 「車椅子の方を悪く言うのは間違ってます!好きで事故にあったり病気になったわけじゃない!」 荻原さんはいつも私に上目遣いで話しかける、けれど今日は違う。蔑んだ瞳で私を見下している。 三人に囲まれ、睨まれ、ようやく私はこの流れを理解した。汗臭いこの休憩室の鋭く尖った空気が私を切り裂いていく。 そこに偶然にも店長が入ってきた。入社三年目で私に過度に気を遣っていてくれる店長なら味方し、この場を収めてくれるに違いない。 この店長には正しい店の仕事を教えてあげた恩がある。
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