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巣立ち
「待ちなさい、スー」
家を出ていこうとする息子を父が呼び止めた。
「出ていくって…どこへ?」と彼は息子に問うた。
親子というのに、二人の容姿は全く異なった姿をしていた。
息子の顔には父の面影がある。
しかし、自然な親子のつながりに違和感を呈しているのは、越えられない壁だった。
「…母さんの国に行く」
引き留めようとする父に、短くそう告げて彼は荷物を手にした。決心は揺らがない。
「もう此処には戻らない」と彼は宣言した。
「何故だ?《人の国》に行って何になると言うんだね?
私と暮らしたくないにしても、わざわざ異国の地に赴くことも無いだろう?
ツィリーナだってそんな事望んでいない」
「母さんの名前を出すな!」
十年以上前に死んだ母の名を聞いてスーが叫んだ。
彼の記憶の中で、シワだらけで微笑む母の姿はまるで祖母だった…
彼の母は人間だったが、その伴侶たる父は全く違う存在だ。
紅玉のような深い紅色の瞳と長いプラチナブロンドの髪。
先のとがった、人より長い耳は彼がエルフと見分ける目印となっていた。
そして彼の息子は、人でもエルフでもなかった。
菫色の瞳や艶やかな黒髪はエルフには不似合いで、人離れした美しい顔と、僅かに尖った耳が人間であることも否定していた。
彼は母譲りの菫色の瞳で父を睨んだ。
「僕も母さんみたいにあんたより先に死ぬ!
父さんのせいだ!
あんたはエルフのくせに!
自分だけいつまでも美しい姿で、母さんを惨めに死なせた!」
「スー!」
「僕の人生だ!」
「待ちなさい、お前はハーフエルフだ。
人の国で暮らすのは難しい。
お前が心配なんだ…
一度冷静になって、考え直してくれないか?」
怒りをぶちまける息子を引き留めようと、彼は必死に懇願していた。
スーの腕に手を伸ばして引き止めたが、彼はそんな父を拒否した。
乱暴に腕を払った息子を、父は悲しい目で見つめた。
「…スー、どうして…」
「嫌いだ!あんたの事なんて大っ嫌いだ!
僕はこの結界から出る!
あんたは一人で此処で寂しく生きればいい!
僕はここでただ死を待つだけの人生なんて嫌だ!」
そう言って早足で家を飛び出した。
彼は父がこの森にかけられた特別な結界の外に出られないと知っている。
彼の父親の一族は、自らの安全の代わりに外の世界を諦めた。
結界を超えるのは死を意味する。
そして、父はその一族の最後の一人だ…
「待って!待つんだ、スー!」
背中に追いすがる声が遠くなる。
スーは父の声を振り払うように走った。
彼を必死に呼ぶ声は結界を超えれば聞こえなくなる。
「待っているから!
私は此処でいつまでもお前を待っている!
私達は…」
最後に彼の耳に届いた声は、途中で途切れた。
なんと言うつもりだったのだろう?
何を伝えようとしたのだろう?
自分で飛び出したくせに、彼の菫色の瞳は涙で滲んでいた。
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