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エインズワースの店を後にして、女を路地裏に引っ張りこもうとしてたクソ野郎と、脅しのような値切りをしてたバカを始末して交代の時間になった。
「おーい、なんか賭け試合で面白いもん観れるらしいぜ!カイ、お前も行かねぇか?」
「試合ねぇ…」
力自慢の素人がぶつかり合うレスリングみたいな賭け試合だ。まぁ、毎年何かしらあるし、面白いっちゃ面白いがそこまで惹かれない。
アルノーが暇なら誘うが、どうだろうか?
「気ぃ向いたら行くわ。俺約束してるからじゃぁな」と適当に断って、アルノーが店を出してる場所に向かった。
人が多く、熱気はすごいが、秋の陽気は心地よく乾いた風を運んで人の波を縫うように走り去っていく。
数日前には天気が悪かったが、今日は祭りに誂え向けの良い日になった。こんな日なんだ。人が多いのも納得だ。
アルノーの店があるはずの場所に向かうと、忙しくしていなければならないはずの店主は暇そうに煙草をふかしていた。露店はすでにあらかた片付けられた後だ。
アルノーは俺に気付いて手を振ると、「わりぃ、売り切れだ」と言った。
「はぁ?いつ?」
「昼頃には売り切れちまってよ。もっと用意したら良かったかもしれねぇけど、それ以上作るのは俺たち二人じゃ捌けないから、まぁ、しゃーないわな」と言い訳するアルノーはどこか満足そうだ。
「俺の分はどうすんだよ?」
「んー…どうすっかなぁ?タレなら少し残ってるから、なんか作るか?炭まだ残ってたよな?」
「あるよ。そのへんで適当に肉とか野菜買ってこようか?」
「おう。その間に火用意するわ。お前も手伝えよ」とアルノーらに言われて片付けていた店の焼き場を出して用意を始めた。
まぁ、俺も食うから手伝うけどさ…
でもいくらなんでもこんな往来で昼飯の用意するか?
往来を通りがかる人の視線が集まって微妙な空気になる。何が始まるのかって感じの視線が痛い…
でもアルノーはあまり気にしていない様子だ。
「そういえばさ、あいつも来たぜ」
「あいつ?」と聞き返すとアルノーはニッと笑って答えた。
「ライナだよ。ユリアってお屋敷の友達といっしょに来たぜ。俺もライナには借りがあるから三人分奢ってやったよ」
あいつ祭りに来てんのか?アルノーの話を聞いて俺の中で変な感情が湧いた。
アルノーからしたら世間話程度のつもりだったみたいで、俺の方も見ずに炭に火を入れながら話を続けた。
「ロンメル家の騎士とかいう男が一緒でさ、ユリアってお嬢ちゃんの婚約者なんだってさ。ライナは付き添いなんだと。
まぁ、ライナも楽しそうにしてたし、男も真面目そうな奴だったから大丈夫だろ?あいつもだいぶ普通になったよな」
「…ふぅん…」と興味なさそうに応えながらも腹の中では少しモヤモヤしていた。
ライナの友達のユリアって子は知ってる。前に髪を結んだあの子だろう。多分婚約者ってのは、髪を結んでいた時に睨んでいた若い真面目そうな青年だ。婚約者を差し置いてライナに手を出したりするような心配はなさそうだが…
「やっほー!美味しそうな羊肉買ってきたよー!」と陽気な声がして買い出しに行っていたティナが帰ってきた。
彼女はご機嫌で買ってきた荷物を取り出してまな板の上に並べ始めた。
三人分にしては多すぎやしないか?と思ったが、この夫婦、商品の仕込みをしすぎて感覚がおかしくなっているみたいだ。
二人で手際よく肉やら野菜の用意をするとタレを付けて早速焼き始めた。辺りに肉を焼くいい匂いが広がった。
辺りに立ち込めた肉の匂いに、通りを歩く祭客の足が鈍る。
「あれ?店じまいしたんじゃないのか?」と訊ねる客まで現れた。こうなると食うどころじゃない…
仕方なく自分たちの分だけ取り分けて、残りは買い求めた客に言い値で売った。『残ったら勿体ないから』とか言っていたが、アルノーは嬉しそうだった。
「酒代ぐらいにはなるか?」
「いいね。ちょっと良い酒買えるよ」と言ってる所を見るとそれなりにしっかり儲けたみたいだ。この夫婦ちゃっかりしてる。素人で始めた二人だが、商売の方は問題なさそうだ。
少し冷めてしまったが、アルノーの作る飯は美味かった。
これなら金出してでも食うわ、と納得できる味だ。
アルノーの夢はすぐにでも叶う距離にある。
じゃあ俺は?アルノーのようにこれという目標があるわけでもない。
自分でも何したいのか分からなくなっていた…
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