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✩.*˚
夕日が西の空から街を赤く包み、東から宝石を撒いたような夜がやって来る。
黄昏時は普段の町並みを違うもののように見せていた。
それは人の表情も同じだ。
「どう?おいしい?」とルドに訊ねるミアの瞳も茜色を含んでキラキラと輝いていた。彼女を見上げるルドの頬には幸せそうな笑窪が刻まれている。
「おいしいよ。お母さんも食べて。お父さんも」と差し出された小鳥の形をした焼き菓子は香ばしく甘い香りを立ち上らせていた。
お祭りの屋台もそのほとんどが店じまいして、代わりに吊るされた灯りが灯り始めた。
「ごめんな。もっと早くだったら色々な店も見て回れたけど…」
「ううん。僕、初めて夜のお祭り来たから嬉しいよ。
ブドウの灯りもキレイだし、リンゴのランプもキレイだね」
「そうだね。なかなか見れないもんね。スーが連れてきてくれて良かったね」
ミアもルドの言葉に頷いて、色の変わる町並みに煌めく灯りを楽しんでいた。
結局、レスリングはパウル様の独壇場で終わった。俺も手を抜いたつもりはないが、レスリングではパウル様には勝てなかった…
パウル様はハンスなんかよりずっと強い。俺もハンスとは五分の勝負をするぐらいにはなっていたが、その程度では歯が立たなかった。
それでもパウル様は楽しかったみたいで、参加者全員に小金貨を渡す気前の良さを見せた。試合を荒らした詫びらしい。観客に酒まで振る舞う大盤振る舞いだ。
お陰で俺は嫁と子供を甘やかす臨時収入ができた。
元々人気のある人だが、今回の件でパウル様は更に愛される人物として領民に記憶されたようだ。
「あ!」と突然声を上げたルドが何かに気付いて、ミアの手を解いて駆け出した。
慌てて引き留めようとしたミアの声を遮るように、人の波の中で子供の声が上がった。
「ルドだ!」「ルーちゃ!」というルドを呼ぶ声と母親らしき女性の慌てて子供を呼び止める声が重なる。
子供たちは母親の手を離れて合流すると子犬のように楽しそうにじゃれあっていた。
「もー!エドガー!メアリ!また迷子になったらどうするの!」
離れた子供を叱りながら駆け寄ってた母親は良く知ってる女性だ。
「おい、はぐれるぞ」と文句を言いながら追いついた父親の腕の中には眠そうな顔をした女の子が納まっていた。
「やぁ、アニタ、ギル」と挨拶すると、エインズワースの家族も挨拶を返してくれた。
フリーデは当たり前のように幸せな家族に溶け込んでいた。その幸せそうな風景を眺めていると、珍しくギルの方から俺に声をかけてくれた。
「昼間、お前のところの若いのに世話になった」
「ん?そうなのか?」
「あぁ。エドガーとフリーデが迷子になってたのを見つけてうちの店まで送ってくれた。親方は《顔に入れ墨入れた若い男》と言っていたからカイだろう?礼を伝えておいてくれないか?」と彼は律儀に礼を言ってくれた。
「祭りの警備もうちの仕事だからわざわざ礼をいうほどのことじゃないよ。でも伝えとく」
「俺にとっては大事なことだ」と言いながらギルは大事そうに抱いた娘に視線を落とした。血の繋がりのない娘も彼にとっては大切な愛娘なのだ。
この子をエインズワースの家族に譲ってよかった…
「こんな時間になにしてんの?」と話題を変えると、俺たちの会話を聞いていたエドガーが「《ふるまいの樹》を見に行くの!」と元気よく答えた。
「あぁ、あれか…」と頷いた。
ブルームバルトでは収穫祭の最後に果物やお菓子やパンを吊るした樹を切り倒すイベントがある。ウィンザーの名残で、実りは子供や女性に振る舞われる。
「ねぇ、お父さん。僕も行きたい」とエドガーと手を繋いだルドがキラキラした目でお願いした。断る理由もない。ミアに視線を向けると彼女は《いいんじゃない?》というように笑顔で応えた。
森から切り出した大きな木を飾った広場を目指して、エインズワース一家と一緒に歩き始めた。
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