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「知らねぇのかよ?大人ってずるいんだぜ?
大事なことははっきり言わねぇし、周りに合わせててめぇの考えなんて腹の中に隠して我慢すんのが大人なんだよ」
「…そんな言い方したら、あたし勝手に都合よく解釈するよ」
「だろうな…女って面倒クセェな…」と苦笑いと本心が口から出た。
あぁ、そうだよ…面倒クセェな…
一つでもいい。ライナを嫌いになれたら、この気持ちは少しでも楽になるのに、と思考は逃げに走っていた。
諦めてくれないなら、せめて俺が彼女を嫌いになりたい…こんなのお互い辛すぎる…
また嫌な沈黙の時間が生まれたが、それを嫌うようにライナが口を開いた。
「男だって、面倒くさいわよ」と言った女は俺の腕を掴んでいた手を放すと、今度はその手で乱暴に胸ぐらを掴んだ。
ライナはそのまま胸ぐらを掴んで、俺を建物と建物の隙間に引っ張って行った。
「お、おい?なんだよ…」
「うるさい。騒がないで、目立つでしょ?」
彼女の行動が理解出来ずにいると、人目を避ける路地裏で彼女は足を止めた。
逃げられないように胸ぐらを掴んだまま、彼女は見上げるように俺を睨んだ。
「意気地なし。はっきりしないカイが悪いんだから」と、ライナは俺を責めて乱暴に掴んでいた服を引っ張った。
華奢な細い腕は意外と力があって、油断していた俺は足元がふらついた。
それを狙っていたかのように、ライナの顔が近づいた瞬間、唇の端に柔い感触が押された。
それが何か分からないほど俺だって初心じゃない…
そのままの勢いで壁に手を着いた。身体が接触するのを避けたが、俺と壁の間には潰されそこなったライナの顔がある。まるで俺が彼女に迫ったみたいな体勢だ…
「…外しちゃった」と少しふざけるように笑って、ライナは仕切り直すように固まっている俺に顔を寄せた。
唇に重なった柔い感触に頭が麻痺した…
長いまつげがくすぐったく顔の触れた。息をすると鼻腔に女の匂いがなだれ込んで理性を手放してしまいそうになる。
ずっと抑えていたものが、この不意打ちのようなキスを合図に溢れそうになった。
「…ばかやろう」と強がった声は弱々しくて格好がつかなかった。
眼の前の女の赤い唇には淋しげな微笑みが浮かんでいる。
「ごめんね…でも、欲しかったんだ…思い出…」
最後みたいな言い方が俺の癇に障った。
唇を重ねたせいだろう。途端にこいつが惜しくなった…
壁に着いていた手を引いて彼女の髪に触れた。ライナはその手に少し驚いて身じろいだが、すぐにその手を受け入れてくれた。
「お前のせいだからな」と言い訳して、腹の底から押し寄せる熱に押されて彼女を抱き寄せて唇を重ねた。
それに応えるように細い腕が絡んで、女の細い身体がそれ以上を求めるように密着した。
一つにはなれないが、欠けたものを埋めるようにお互いを求めた。
「嬉しい」とか「もっと」とか煽る女の声に調子に乗ってスカートに手を伸ばしたが、さすがにそれはまずかったらしい。
驚いた彼女は慌てて密着していた身体を押し返した。
「悪い…」と謝ってそれ以上は諦めた。
「あ…あ、うん、そうだよね…」と、顔を真赤にして気まずそうにするライナは可愛かった。
自分からキスしたくせに、そこまで考えられないなんて、まだこいつもお子ちゃまだな…
なんか変に安心した。
唇を指先で押さえて確認する姿も、女になったばかりの少女の仕草で、その不慣れな様子で俺まで恥ずかしくなる。
…責任…取るべきだよな…
そんな柄にもないことが頭をよぎった。キスしたぐらいで大げさだが、そんなのは建前の口実で、昂っていた男の本能がこいつを欲しがっていた。
冷静に考えりゃ無理な話だ。現に俺はカミルの兄貴から釘を刺されている。爺さんだって認めやしないだろう。俺だって同じ立場なら、名も売れてない傭兵なんかに可愛い娘をやろうなんて思わない。
それなら…
「ライナ。お前、もう少し返事待てるか?」
零れ落ちそうなくらい見開いた目は瞬きも忘れて俺を見ていた。潤んだその目には期待するような感情が浮かんでいるように見えた。
目標なんかなかった。ただなんとなく生きていた。一人が嫌で傭兵になって、居心地良いからここに留まっていた。死ぬまで俺はこんなんなんだって思ってた…
でも、たった今、俺がなるべきものができたんだ…
「俺は、傭兵しかできねぇから、傭兵は辞めらんねぇ…
その代わり、傭兵として名前を売って、周りが何も言えねぇぐらい偉くなってやる。爺さんやカミルの兄貴、他の奴にも文句は言わせねぇぐらい凄え傭兵になるから、それまで待てるか?」
こんなの頭の悪い、格好つけた男の戯言だ。でもそれに頷いた女もそいつに似合うぐらい大馬鹿だ…
ライナは「約束だよ」と確認するように念を押して笑ってくれた。
「約束だ」と安っぽい言葉で頷いて、人目を避けた薄暗い場所で彼女を抱きしめた。
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