6人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
「やぁ、突然すみませんね。見えますか」
ウイスキーグラスの横にあるパソコンに部長が映った。会社にいるときと変わらず、ワイシャツにハゲ面が乗っている。
「あのぅ、飲み会ですよね? 二人だけの」
ティシャツを――猫のキャラクターティシャツを着ている僕は、自分がTPOを間違えたかと、部長のワイシャツ姿を見てちょっとどきりとした。
しかも部長の背景も仕事に適したもので、文庫本が本棚にぴしっと並んでいる。僕の背中側はぐちゃぐちゃのベッドなのに。
「ああ。パソコンの前では、この格好が一番落ち着くようなんです」
職業病ですかね、と部長ははにかんだ。
「そうなんですね。で、急にどうしたんですか」
ゆっくり起きた休日の朝のこと、オンライン飲み会を今夜やりたいと、部長から連絡が来た。仲の良い部長からの誘いは嬉しい。けど、僕は違和感を感じた。
部長はオンライン飲み会を自らやるタイプではない。機械音痴で、パソコンの前では背筋を伸ばして一字一句丁寧にキーボード入力するような感じなのだ。それに、部長が酒を飲んでるのを見たことはあっただろうか。
「今日は妻と娘が実家に帰っていましてね。猫のニャンコさんの面倒を見る私が留守番することになりまして……田中さんと飲み会をしてみたいと思ったのです」
「そうだったんですね」
ちょうどニャンコさんのふさふさした白いしっぽが画面の端に映り、僕の顔がほころぶ。猫のしっぽのしなやかな動きは素晴らしい。僕が住んでいる独り暮らしのアパートでは猫を飼うことはできないけど、猫の仕草は全て愛らしいと僕は思う。
僕の目線が猫を追うのに夢中になっていると、「実はですね」と、部長はシーリングライトの光を反射する額をかき、「田中さんが心配なんです」と、じっと見つめてきた。
「あ」
頭の中はすっかり猫からオフィスに切り替わった。最近なんだかミスが多くて頭を下げてばかりの日常風景が浮かぶ。
ことの発端は遅刻からだっただろうか、職場での僕の謝罪が増えたのは。一つ良くないことがあってから、負のループにはまってしまっていた。
たぶん、部長が言う心配とはミスばかりするクズになっている状況のことだろう。
「今日は私とゆっくり話しませんか」
部長は目尻のシワをいっそう濃くしてゆっくりほほえんだ。まるで慈悲深き観音様のようで、救いを求めてすがりつきたくなる。
いつもそうだ。
部長はいつも穏やかに笑い、僕は部長についつい甘えたくなる。だから、今弱っていることは相談していなかった。社会人として頼りすぎるのも悪いと思っていたのだ。
でも、もう我慢できない。シーリングライトの後光を放つ部長を前にして、僕は心を全てさらけ出したくなった。
「よろしくお願いします」
おもいきって言ってみた。するとなんだか気恥ずかしくなってきて、もしゃっとした髪を手が触りたがり、変に笑えてくる。
「はい。では、いっぱい飲んでいっぱい語りましょう」
ぷしゅと心地よい音を立てビール缶が画面の向こうで開けられ、掲げられた。僕は待ってましたと、グラスをあげた。画面ごしに乾杯し、お互いに一杯目を目一杯飲んだ。
ぐびぐびとビールを流しこむ部長に僕の目は注がれた。酒に強い僕のことは置いといて、部長まで一気飲みするとは思わなかった。
「部長もお酒、強いんですね」
すでに酒は頭に回ってきて、気分がよくなりながら僕は尋ねる。
「いいえ。違いますよ」
「え……」
観音様は真っ赤になり、頭をくらくら揺らしだした。
最初のコメントを投稿しよう!