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無色に色を求めたい
もし、好きな相手の感情が目に見えて分かれば。
もし、心変わりのタイミングが見えていたならば。
こんな悲劇も回避出来たに違いない。
「どうも奥さん、はじめまして。私は中谷と申します。香織の夫……と言えば分かりますよね」
我が家に突然訪れた男は、開口一番にそう言った。
休日なのにかっちりとしたスーツ姿、スッと差し出された名刺、言葉を聞かなければセールスか何かだと思ったことだろう。
「不躾なお願いをしますが上がっても?」
「ええっと、あの、」
「ああ心配しないで欲しい。私だけじゃなく妻も連れて来ておりますので。ほら、挨拶しないか」
促され長身の背後から出て来た香織は、俯いたまま小刻みに震えている。
手には握られたハンカチ。
鼻を啜るような音が断続して聞こえていた。
「全く。挨拶もロクに出来ないとはな。泣く権利などお前にはないだろう」
香織の肩がビクリと竦む。
夫という三十半ばの男は辛辣で、とてもじゃないが夫婦仲は良く思えない。
「おーい真紀。誰か来た、の……か」
遅い昼食の用意を夫と二人でしていた。
なかなか戻らない私に顔を覗かせる。
途切れた言葉、休日で緩みきった表情が瞬く間に凍りつくのを目の当たりにした。
「……あの、どうぞお入り下さい」
結婚して二年。
付き合いをいれれば七年目だ。
共に二十九。二十代の大半を一緒に過ごして来たけれど、これまで不満など何一つ持っていなかった。
でもそれは、私だけだったのかもしれない。
「私がここに来た理由はもうお分かりでしょう。何も知らなかった奥さんには酷だが、隠せる段階は過ぎてしまったのです」
リビングにコーヒーの香りが漂っている。
誰もカップに口をつけない緊迫した空気の中、冷静に淡々と声をだしたのは香織の夫だった。
「調べたところ始まりは半年ほど前。間違いがあるなら言ってくれ」
誰に向けた言葉か。
視線は私に固定されている。
席に着いてから一度も顔を上げない香織と私の夫は、震えるだけで何の言葉も発しない。
「なるほど。では次に詳細に移るが……聞きたくないなら書面を渡そう」
瞬間、こちらを見ていた瞳に憐憫さが滲む。
私の知らないことを知っている香織の夫。
この場を支配し、操り、私以外の三人が共有しているものに同情されたのか。
カッと理不尽な怒りが込み上げる。
貴方が来なければ気づかなかった。
知らないままでよかった。
貴方達と違って私達は順調で、何の問題もなかったのだから。
「いえ、聞きます。続けて下さい」
同じ立場の人間が私の日常を壊しに来た皮肉。
そんな人間に同情された時点で、逃げるという選択肢を消した。
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