シンデレラ? あの、スリッパです

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シンデレラ? あの、スリッパです

何もしない宣言をしたからか、夫が夕食を作っていた。二人分を食卓に並べながらこちらをチラチラ見てくる。 もちろん食べなかった。 意地悪で、じゃなく、本当に食欲がないから。 精神がおかしくなると、生きる為に必要なことすら放棄してしまうんだと、妙に感慨深いことを思う。 何か食べないと身体壊すよ、という夫の言葉に、食べれないようなショックを与えたのは誰だ、なんて間髪入れず棘の含んだ嫌味を返せば、もう何も言わなかった。 次の日の朝もそんな調子で終わり、夫は仕事に向かう前に我慢の限界が来たようだ。 「お願い。少しでいいから口にして。俺の作ったものが嫌なら夜は何か買ってくるから」 「要らない。別に私が衰弱死してもいいんじゃないの? 楽しんだ相手と一緒になれるよ。子供だっている。邪魔者が消えれば万々歳でしょ」 「真紀!」 「うるさいな。怒鳴らないでよ。事実じゃん。あんたは不倫した。不倫相手が身篭った。どこにも間違いはないよ」 「俺は真紀を愛してるっ!!」 「へぇ? 愛する人を裏切れる愛か。やっすい愛だね。早く行かなきゃ遅刻するよ」 「真紀、真紀! 悪かった。本当にすまない。なんで俺は……香織とは欲の繋がりなんだ。愛してるのは真紀で、大切にしたいのも真紀だから。それは絶対だ!」 力強く宣言し、後ろ髪引かれるような表情で出て行った。 ……バカだなぁって思う。 必死なのは分かる。愛も本当なんだろう。 知らなかった頃は確かに幸せを感じていた。 夫がこの人で良かったと、一生を共にすると、結婚式で誓い合った気持ちは嘘じゃない。 だから余計に。 余計に裏切りが許せないのだ。 最初からクズ野郎ならここまで傷付いていない。 まさか、と思う人が、まさか、という事をして、まさか以上の問題を持って来た。 詐欺師か極悪人レベルだと思う。 しかも、私の前で不倫相手の名前を軽々しく呼ぶ無神経さ。失望が乗算されていることに気付いてないんだろう。 朝から無駄な精神力を削られた。 中谷さんと会うのに疲れさせないで欲しい。 ただでさえ気が重いのに。 気持ちを切り替えて身だしなみを整える。 手を上げた謝罪として菓子折りを持ち、昨日ぶりの会社を訪ねた。 「この度は誠に申し訳ありませんでした」 中谷さんが応接間入って来た瞬間、頭を下げる。 下げながら菓子折りを差し出せば、コツッと何かにぶつかった。 「謝るのはこちら方だ。私からシンデレラに会いに行かなければならないところ、わざわざ来て頂いて申し訳ない。これは謝罪の品だ」 コツッとぶつかったのは、某有名靴屋の箱だった。 綺麗にラッピングされた片方だけのスリッパを添えて。 ……嫌味、じゃないな。 腫れた頬に浮かぶ表情は、何度も目にした憐憫が込められていた。
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