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悪夢の終わり
「……随分と早く答えを出されたようで、と言いたいところだが……違っていたな」
うるさい携帯を止めようとポケットに手を突っ込んだら、少し皺になった名刺が出て来た。
そこにあったのは、駅の二つ向こうにある地元では有名な会社で、その社名を見た瞬間、なぜか天啓を受けたような衝撃を覚えた。
衝動のまま来たけれど、今は来るんじゃなかったと後悔している。
立派な応接室でお茶を飲む。
対面する彼は、香織の夫である中谷さんは、昨日と変わらずパリッとスーツを着こなしていて、対する私はヨレた部屋着に足元はスリッパという出立ち。
受付の人もよく中に入れてくれたと思う。
アポもなく、会社に来るには不味い格好、おまけに号泣後で自分の顔は大変な代物になってるはずだ。
「仕事中に押しかけてすみません……」
「構わない。……その様子だと話の途中に飛び出して来た、かな?」
やっぱり分かってしまうよね。
苦笑で誤魔化したけど、中谷さんは真面目な表情でハンカチを取り出す。
「使いなさい。それと無理して笑う必要はない」
目にともる憐憫。
もう腹は立たなかった。
「あの、自分でもなんでここに来たのか分かってないんです。とにかく夫から……逃げたくて」
思わぬ優しさに触れ感情の制御がままならない。
とりとめもなく昨夜から今日にかけて、私が思ったこと、感じたこと、答えが出ないこと、夫に対して言ったこと、全て包み隠さず話していた。
「すみません。長々意味なく喋ってしまって」
「意味はあるだろう。奥さんは今、心の整理をしている最中だ。好きに吐き出すといい」
「え、あの……お邪魔、では?」
「私はいつでもいいと言ったはずだ。気に病むのなら会社から出てもいい。格好が気になるなら全身一式をプレゼントしよう」
話しが変な方向にいっている。
中谷さんの過剰な申し出は加害者だから?
それとも、あまりにも見すぼらしい姿が目に余るから?
「……変な解釈はしないで欲しい。昨日の詫びだ。奥さんがこんなになっているのは、私のせいでもある。もっと配慮をすれば良かったと、これでも反省してるんだ」
「じゃあ、気持ちだけ受け取ります。たかりに来た訳じゃないので。あと、奥さん呼びは……少し恥ずかしいです」
「なら、真紀さんと。来た時よりも口調も表情もだいぶ良くなったようだから、私の覚悟を話していいかな?」
「覚悟……ですか」
「ああ、昨日も言ったように私は真紀さんの決断に従うし、誰にも文句は言わせないと誓う。だが、選択の幅を広げる手伝いはさせて欲しいんだ」
中谷さんの話す覚悟という名の選択肢は、昨日から続いていた悪夢を吹っ飛ばすものだった。
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