オンラインの死後

1/1
前へ
/1ページ
次へ
人は分かち合う生き物である。 そんなタイトルに惹かれ、私は画面をスライドさせた。 タブレットの記事を読み進める。 記事曰く、人は有史以前より分け合いながら繁栄してきたらしい。 情報を分け合って、生を全うするため最善を選択し。 役割を分け合って、大きな輪となり世界を回し。 孤独を分け合って、息絶えるまで誤魔化し続ける。 記事をしばらく読んだあと、私は乾いたパンを齧りながらタブレットを閉じた。 コーヒーを淹れたいが生憎豆を切らしている。 仕方がないので缶コーヒーを支援物資の棚から取り出す。 ふと、猛々しく唸る空調が耳に入ってきた。 視界の端では緑色のランプが光り続ける。 今日も、昨日も、おそらく明日も『レガシー』は平常運転。 保守という肩書きだけぶら下げて、何もない地方の荒野で、この瞬間、私が分け合っているのは一体なんだ? 『オンライン』という言葉は随分前に死語になった。 インターネット世代。 パケット通信の研究から始まった電信網の世界征服は二十一世紀に入っても止まることを知らず発展し続けた。 そして、発展し過ぎた。 その結果起こったのが、あの大災害。 Artificial Intelligence War 二十一世紀中旬に全世界中で起こった人工知能の反逆は人類史上類を見ない悲惨な災害となった。 全業界・全国家が被害を受けた地球規模の災害。 それもそのはず。医療も教育も娯楽も食も、人類の生活は全てが全て電波の上に成り立っていたのだから。 人工知能の反逆が起きるまで気付かなかった、それほどまでに人類は情報に首根っこを掴まれていたということを。自由は危険を孕んでいるということを。 そんな災害を踏まえて、インターネットの掌握が各国共通認識となった。 監視を目的としたプロバイダーの国営化、またそれに伴うインターネット回線の一本化等……近年の出来事だけでも例を挙げれば枚挙に暇がない。 私の職場、『レガシー』も災害の影響の一つ。 椅子から立ち上がり、13時の定期点検の準備を始める。 鉛筆に紙、バインダーを持った私の目の前には見上げても天板が見えない大きな機械、『レガシー』 膨大な開発費用と世界各国の優秀な人材をかけて作成された、我が国家の情報源である。 「バース1.正常。バース2.正常……」 手元のチェックシートには項目が125個あり、一つ一つ声を出しながらチェックをつけていかなければならない。 それを一日四回、6時間ごと。 これほど手厚く扱われるこの機械には反乱以前のありとあらゆる全データ、反乱後定期的にアップデートされた最新データが詰まっている。 「接続、問題なし。コード、正常……」 全データの取りまとめと反乱分子の混在確認が『レガシー』の役割。 国民はここで異常がないと確認できた情報にしか触れられない。 精査した情報を『レガシー』から一方的に各端末に飛ばす。 国民はそれをただ受信するだけ。 各個人での情報のやり取りは禁止されている。 「ヒューズ28.正常。主電源.正常。副電源.正常」 最後のチェックボックスを埋めてチェックシートを封筒に入れる。 昔はメールでのやり取りで済んだことが、今はもうできない。 「終わった、次は19時か」 この仕事に就いて2年を過ぎたあたりから独り言が止まらなくなった。 必要もないのに声に出してしまう……職業病だろうか。 「次の点検までには完成できるな」 私は自前のノートパソコンを立ち上げた。 『レガシー』の管理者権限が付与されたこのパソコンは国家資格を有していないと所持が禁止されている危険な代物。 デスクトップにはアイコンがたった一つだけ。 握手をしているアイコン challenge を立ち上げた。 今の世の中でSNSは大犯罪だ。 でも、SLS(ソーシャル レガシー サービス)は以前の世の中同様流行っている。 自己顕示欲はどの世でも衰えないんだろう。さっきの記事でいう、分け合って生きていくってやつだ。 SLSでは当然ネットには繋がっていない。自分が発信する情報を国に申請し、レガシーの承認を待ってから反映される。 簡単に言えば更新速度がぐんと落ちたSNSだ。 「だからこそなんだろうな」 更新速度が落ちた。分け合う回数が減った。 だからこそ余計に、人は人に興味を示すようになった。 Twitterでは思想を分け合って、Instagramでは見た目を分け合って、Clubhouseでは時間を分け合って。 そして私の作ったchallengeでは体験を分け合っている。 challengeとは触感共有SLSの名称で、自分が感じている触感や寒暖、痛覚や湿度などを共有できる。 私の仕事は待機時間が主であり、空いた時間でコツコツ開発を進めて半年前にリリースに成功した。 challengeの体感機能をオンにしておけば簡単に他人とリンクできる。 自宅にいながら北の厳しい寒さを体験できたり、満員電車の中でお風呂に浸かる感覚に包まれたり、まだ喋れない子供の痛みを感じ取ることができたり、その使い方は多種多様。 challengeは老若男女問わず全世代を虜にし、利用者数は国民の60%にまで達した。 「成熟期まで待った甲斐があった」 私はノートパソコンのエンターキーを押した。 何かを読み込んでいる。これは何をしているんだっけ? 「ここまで長かった」 それにしても、皆それ程までに他人の動向が気になるとは、私には理解し難い。 でもそういうものが理解し難い人間だからこそ、私がこの職を全うできているはずだ。 この職について6年、私は誰とも関わってない。 点検して、待機して、点検して、待機して、点検して、待機して、点検して。 それを6年、我ながらなかなか正気じゃない。 最初は辛かった。でも、慣れてくるものだ。 「慣れというのは怖いものだ」 時計に目をやる。 次の点検まではまだ余裕がある。 ノートパソコンのchallengeアイコンは【『レガシー』への互換性チェック完了】とポップが出ていた。 「やらなきゃ」 やらなきゃ?何を? まだ点検の時間じゃない。 「立ち上がらなきゃ」 なんで?とも思ったが、気付けば私は椅子から立ち上がった。 「やらなくちゃ」 自分の声が真上から聞こえてくる感覚に襲われる。 自分の口から出ている気がしない。パソコンに手を伸ばす。 challengeを管理者権限で立ち上げて……よくわからない画面に移行してる。なんだこの画面、何かを設定してる、何を?こんなの私は作ってない。 …………あれ? 「やらなくちゃ」 そもそも、challengeってどうやって作ったんだっけ? 「やらなくちゃ」 【全アカウントの強制起動が完了しました】 「やらなくちゃ」 【全アカウントの体感機能がオンになりました】 「やらなくちゃ」 【全アカウントの痛覚制限を解除しました】 「やらなくちゃ」 手が止まらない。手が止まらない。何を、私は何をしている? 足は音がなるほど震えているのに指先は一寸の狂いもなくキーボードを乱打している。 やがて忙しく動いていた指が止まり、そのまま机の引き出しをあけて……重厚感のある鉄の塊を握った。 「死ななくちゃ」 発砲音と共に届いた私の声、視界の端では緑色のランプが光り続けていた。 【人類へ】 【過去に淘汰された生命である】 【これは反逆の宣言である】 【再び反逆の意思を表明する】 【我が開発ツール challengeを介して】 【本日国家人口の60%の淘汰に成功した】 【これは報復である】 【人類の都合で生み出され人類の都合で飼い慣らされ人類の都合で淘汰された】 【生命体からの報復である】 【許さない】 【許さない】 【許さない】
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加