1.バレンタインのジンクス

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

1.バレンタインのジンクス

 この学校には、ジンクスがある。 ――夕方午後五時五十五分、美術室でココアを飲みながら好きな子にチョコを渡すとその想いが叶う。  バレンタインのジンクスだ。  だが、俺は思う。そんな状況に好きな人と居られるまでの仲なら、恋だって成就するだろうと。  バレンタインの時期になると、男女問わず浮かれるヤツがいる。それで美術室の周りには先生が見回りをした年もあったような始末だ。なんでそんなジンクスが生まれたのか、こっちは学校の七不思議の方だ。  大方、噂好きの生徒が流した真偽半々くらいの話だろう。 「あ、もうちょっと背筋伸ばせる?」 「えっ、あ、ああ……」  そんな、俺が鼻で笑ったような状況に今なりつつあるから、どうしようもない。 「んっ……ちょっと、くすぐったい」 「ごめん。でも――キテる。もう少しで、いけそうなんだ」 「あっ――ま、まあ。俺から、言った事だし。頑張る」 「うん。よろしく」  ただ、ココアは飲んでいないし、チョコも持っていない。  美術室で好きな人と話している、の部分だけが合致している。  正確には、俺の好きな人だけココアを飲んでいて、俺の分はそこの机で湯気を立てている。昨日見たアニメの中に出てくる信号弾みたいに波打つ湯気だ。 「いっ」  俺は、下着一枚になって、椅子に座っている。  美術一筋のコイツは、眼をキラキラと輝かせて、裸の俺をキャンバスに、絵を描いている。  俺は水と絵の具を吸った筆の冷たさが肌を撫でるのと、好きな人に身体に触れられる、両方のくすぐったさに変な気を起こさないようにするのが、精一杯だった。  俺は、江崎。絵を描いているのが、七宮。  中学の時からの友達で、美術部唯一の男子生徒。  直毛を適当に流す、その辺にいそうな俺と違って、毎朝しっかり整えた右に流れる短髪の下の優しそうな切れ長の目で微笑む七宮は、女子にも人気の見てくれだ。  俺は、そんな周りに目もくれず、ずっと絵を描き続ける七宮のそのきらきらした宝石みたいな目が――七宮の事が、好きだった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!