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初めてのバイト
次の日、土曜日。補習が始まる月曜日まで、晴をそっとしておくつもりだった。けど、俺はまたビルとビルの間に突っ込んだチャリの荷台に座ってた。
「そこにいられると営業妨害ですよ」
「あっ。すみません」
俺はチャリの荷台から立つ。真夏のデ・ジャヴ。じゃなくて。昨日と同じように(K)低音ボイスでマスターに怒られる。
「待っていても晴くんは来ませんよ。今日は休むと連絡がありました」
「教えてくれてありがとうございます」
俺は頭を下げる。――晴に会えないとわかって、ほっとした自分がいる。帰ろうと思ったら、マスターが立っていて、ビルとビルの間から出て行けない。
「いきなりバイトが1人お休みになって、人手が足りないんです。お手伝いしていただけませんか?もちろんバイト代はお支払いします」
え……
「でも、あの、俺、」
昨日言われてたら、俺は速攻「はいっ!」って返事してた。晴のバイト先。どんなお店なんだろ。どんな人といっしょに働いてるんだろ。あの晴が人の言うこと、ちゃんと聞いてるんだろうか。ちゃんと働けてんだろうか。でも今日は、断る言い訳を俺は空っぽのアタマの中に必死に探している。マスターが唇を歪めて、ふっと笑った。
「当店のことを調べましたか」
『邯鄲』――読み方を調べるために昨日、撮った画像を家に帰って検索した。『かんたん』邯鄲ってゆーのは中国の地名で、旅人がごはんを頼んで待ってるうちに、ちょうちょになって生まれて死ぬまでの一生の夢を見るけど、目が覚めたらまだご飯も炊けてなかったってゆー話。そういう説明といっしょにお店の情報も出て来た。
マスターに俺は、聞いた。
「晴は、ここで、売春やってるんですか?」
「いいえ」
ほっと俺は息をついた。
「という答えをあなたが信じれば、私は真実を言ったことになる。あなたが信じなければ、私は嘘を言ったことになる」
「……俺、バカなんで、もっとわかりやすく言ってもらえますか」
「『はーっ。見損なった!そんなこと、本人に聞くことでしょっ?!
大バカっ!!』」
「とってもよくわかりました…」
マスターにオネエ全開で言われた……。――マスターの言う通りだよな。晴に俺が聞かなきゃなんないことだ。俺はマスターに頭を下げた。
「バイトさせて下さい」
「お盆に載せたコーヒーカップを落とさず、中身のコーヒーもこぼさず、テーブルまで運べますか?」
? 俺は顔を上げる。
「できます」
「コーヒーカップが載ったソーサーを持って、中身のコーヒーをこぼさず、テーブルに置けますか?」
「置けます」
いちいち聞かれなくてもフツーにできることなんじゃね?あ。俺は思いつく。
「何かエクストリームな運び方しなきゃなんですか?」
思いついたのはローラースケート、もしくはラインスケートだったけど、白いシャツ着て、黒いギャルソンエプロンを細い腰に締めた晴が生まれたての子馬みたいにローラースケート、もしくはラインスケートを履いた足を、ぷるっぷる震わせてるのを想像しちゃって大爆笑をこらえるために口をぎゅむっと閉じなければいけなかったので、口に出して言えなかった。マスターは低音を響かせて笑う。
「フツーに床に靴底を着けて、歩いて運んで行ってくれればいいですよ。晴くんが無事にテーブルにコーヒーを運べるまで死屍累々と割られたカップと、こぼしたコーヒーと、お客様のクリーニング代が凄まじかったもので」
俺はこらえきれず大爆笑する。リアルの方が、おもしろかった~~~
「あいつ、生活能力皆無なんですよね。キャンプ学習でカレー作った時、包丁、持たせらんなかったですもん。『玉ねぎの皮、むいといて!』ってカンジで。それも『どこまでが、皮…?』ってカンジで玉ねぎ見つめたまま、動かなくて。『茶色い皮だけむいて』って言いましたよ、俺」
あ、俺、今、思い出話してる。って気付いた瞬間、笑いは引っ込んだ。去年の4月の話。もう1年前の話。晴が俺の友だちだった時の話。
「あなた、最初は断ろうとしたのに、今、自分から『バイトさせて下さい』と言い出したのは、なぜですか?」
シュンッとなっちゃった俺にマスターが聞いて来た。うつむいちゃってた顔を俺は上げる。
「晴がどんなバイトしてるのか、やってみなくちゃわかんないから、です」
「見直しました」
「え?」
「『バイト採用』ということです。――本名を聞いていませんでしたね。『別のクラスのヤツでストーカー』くん」
は~る~!!と、ここにいない晴を呪いながら、俺は名を名乗る。
「今宮想太です。よろしくお願いします!」
すると突然、マスターが頭を押さえて、くらりと細くて長い体を大きく揺らした。熱中症?!
「だいじょうぶですか?!」
俺は駆け寄り、マスターの肩を支える。コーヒーの香りがした。
「あまりにも晴くんとの差が激しすぎて。あの子を橋の上で拾った時、名前を聞いても答えずに、『俺とヤりたいんだろ。さっさとヤれよ』って言いましたからね」
「ほんとガラ悪くて、すみません…」
俺は謝った。
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