ホタル雪

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雪が降って喜ぶのは、小さな子どもと子犬だけだと思ってた。しかし、ここにもはしゃいでる人がいる。 二十歳にもなってはしゃぐなんて… 成人式の帰り道、歩道に積もった雪を手ですくい、僕を目掛けて投げなからきゃッきゃとはしゃぐ。 どれだけ純粋なんだろうか。そっと後ろから抱きしめてやりたくなる。 「ねぇ、知ってる?光る雪を見つけた人は幸せになるんだって」 「光る雪って?」 「よく知らないけど蛍のように淡く光るんだって」 「ふぅ~ん、見たことないな」 「だからあなたっていつも不幸な顔してるのね」 そりゃあ幸せだなんて思ったことなんかない。だけど不幸だと思ったこともない。平々凡々と日々を過ごしてるだけだ。 そんな彼女が事故で亡くなったのは、その年の夏休みに入ったばかりのころだった。 あれから7年、今更ながら彼女を思い出したのは、たった今すれ違った女性から、ほのかに香る香水のせいだろう。記憶の中にある彼女と同じ香り。 振り返ると、彼女は雑踏の中に溶け込もうとしていた。 「待って下さい。ちょっと待って下さい!」 僕は咄嗟に駆け出した。大学を出てから運動なんてものとは疎遠になっていたせいもあって、彼女に追い付いた時には、両手を膝に当て肩で息をしていた。 「ハァ、ハァ、ハァ…」 「どうしたの?岡本、そんなに慌てて」 聞き覚えのある声だった。 「えっ?あっ、片桐さん…」 僕が心から尊敬する上司、片桐美月だ。 ショートヘアがよく似合う端正な顔立ち。ミニスカートから伸びるすらりとした脚。モデルにスカウトされたことがあるって言ってたが、まんざら嘘ではないだろう。 「何を慌ててるの?」 「あ、いや、その…」 僕は言葉に詰まった。 息を整え、並んであるきながら、 「香水変えたんですね」 「あら、分かる?」 「はい、前の彼女と同じ香りなんで…」 「あら、彼女いたんだ」 「7年も前の話しですけどね」 「へぇ~ッ!」 「なんですか?」 「あなたって、女性に興味ないんだと思ってたから…」 「僕はいたってノーマルです」 彼女は僕の顔を覗き込みながら笑みを浮かべた。 「何ですか?」 「別に」 「言いたいことあったら言って下さい」 「あっ、雪」 彼女が手のひらを前に突き出す。ふんわりと手のひらに雪が舞い降りる。 「ねぇ、知ってる?」 「何ですか?」 「光る雪の話し」 「え?何で…」 翌日、とある家の前で僕は躊躇していた。 インターフォンを押せずにいると、 「あら?岡本君じゃない」 背後から声を掛けられ、すかさず声の方向へ体を向けた。 「どうしたの?久しぶりね。7年ぶり?」 「はい、ご無沙汰してます」 声の主は、亡くなった彼女の母親だった。 「立ち話も何だから、入って」 促され、家の中へ入る。 リビングへ通され、ソファーに腰掛けると、 「今日はどうしたの?何か用事でも…?」 「いえ、別にそういう訳じゃないですが…」 「あっ、そういえば昨日見たわよ。あの人が今の彼女さん?きれいな人ね。仕事もバリバリ出来そうな感じじゃない」 片桐さんの事だということはすぐに理解出来た。 「誤解ですよ。彼女は僕の上司です。それに、彼女なんて…」 「コーヒーで良かったわよね」 言いながら、テーブルにカップと皿に乗っけたバームクーヘンを置いた。 「向かい合わせで座るなんて、何か変ね」 僕は、リビングの奥にある仏壇へ視線を移した。 「お線香あげてもいいですか?」 返事を待つまでもなく、おもむろに立ち上がり仏壇の前に正座し、線香を一本手に取った。 胸の前で両手を合わせて軽く目をつむる。 「間違ってたらごめんなさい。もしかして、未だに彼女いないのはこの子のせいなの?」 言いながらおばさんが僕の隣に座った。 「違いますよ。彼女が出来ないのは僕に甲斐性がないからですよ」 笑いながら言ったが、図星だった。 彼女が亡くなったとき、一生独身を貫こうと決心したのだ。 「そう、それなら良いけど…」 おばさんと目が合った。お互いに力なく微笑んだ。 「僕、もうそろそろ…」 言いながら立ち上がり、玄関へ歩を進めた。 ドアを開けると雪がちらついていた。 その中に光る雪を見つけた。いや、雪虫だ。光の加減で雪虫が光って見えたのだ。 もしかして、光る雪ってこの事だったんだろうか?おそらくそうなのであろう。 僕は幸せになれるかな? 空を見上げながらぽつりと呟いた。
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