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厳密に言えば、五日程度という期間は正しくなかった。
勿体つけずに言うならもっと短かった。というのも初日は移動の疲れが響いたのか、小坪さんは早々と酔い潰れてしまったからだ。
その時点で残された時間は四日。
にもかかわらず。
連休二日目に入っても小坪さんが小説を書く気配はなくて――。
朝からラウンジに現れた小坪さんは、凛介が淹れたコーヒーをじっくり味わいながら。昨日の片付けやら店の掃除やらを済ませるあたしと凛介を、じーっと眺めていた。
「……えっと、どうかしましたか?」
とうとう視線に堪え切れなくなって、あたしは意を決して訊いてみた。
「んーん。どうもしいひんよ。ただちょっとネタ出しを、ね」
「ネタ出し?」
「二人を物語に登場させるキャラの参考にしよう思てね」
小坪さんはそれに、と付け加える。
「上手いこと言えへんけど、なーんかみちるちゃんたちを眺めとったら、ええ話が浮かんでくる気ぃすんのよ」
「は――はあ」
小説を書くという行為に関して全く知識がないあたしでも、前もって設定が必要なことくらい理解できる。ただ……凛介だけならまだしも、あたしまで参考にするのは、どうなんだろうと思った。
こんな〝からっぽ〟な人間に、何か役が務まるんだろうか――。
と。話を聞いていたらしい凛介が手を拭きながら厨房から顔を出した。
口元にはいつもの笑顔とさほど変わらない、けれど、明らかに雰囲気の違う苦い笑みが浮かんでいる。
「そういう事なら俺たちより摩子さんの方が――えっと、その。キャラが立ってると思うんですけど」
「なに言うてんの。あないに癖の強いやつ、とっくに登場させてるに決まってるやん」
せっかく凛介が言葉を選んだのに小坪さんは『癖の強いやつ』と一蹴してしまう。そんな返答に凛介は「あー、そう言われれば……」なんて頷いていた。
知っている作品の中に、心当たりがあったんだろう。
ともあれ。
あたしたちの言葉は小坪さんの人間観察を止めるには至らなくて。
ましてや。
凛介が言わない『やめてください』の一言をあたしが言える訳なくて。
結局。
夕方まで小坪さんの視線はあたしたちに向いたままで――。
彼女が惚慕蕩萌として執筆を始めたのは、連休も折り返しに入ったGW三日目になってからだった。
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