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三時になって摩子さんが用意したのは、さも当然のように、氷たっぷりのアイスコーヒーだった。
「それじゃみちるちゃん、よろしくね」
頷いて、慎重にお盆を受け取る。背の高いグラスに並々と注がれたコーヒー。わずかな油断が大惨事を招きかねない組み合わせである。
細心の注意を払いながら階段に足を乗せると――「ああ、それとね」と追加で摩子さんの声がした。
「巴は一度スイッチが入るとどこまでも突っ走る奴だからさ。そのコーヒーを飲む間くらいは、多少強引にでも休ませてやってよ」
そんなことを言われて――正直、困った。
強引にって……。
そんなの、いままで一度だってできたことないのに。
それでも無理とは言いたくなかった。
だってこれは、摩子さんからあたしへの頼み事だから。
頼まれたことくらい頼まれた通りにこなす――そんなあたしを、摩子さんは褒めてくれたから。
「……頑張ってみます」
小さく頷いたあたしに、摩子さんは満足げに笑った。
二階に上がれば客室は目と鼻の先にある。
趣のある廊下は一歩進む毎に床板がきしっと音を立てる。いつもなら一切気にしないのだけれど――客室で小坪さんが仕事をしていると思うと、自然とつま先立ちになった。
ちなみに客室の入り口は世にも珍しい鍵付き襖になっているので、ノックをしても中に音が伝わりにくい。あたしは一つ深呼吸を挟んで、
「小坪さん。少しお邪魔しても良いですか?」
「――はいはーい。鍵は開いてんで」
やっぱり仕事中なんだろう。ややあって声が返ってきた。
可能な限り雑音を立てないように気を付けながら、そっと襖を開ける。
瞬間。
背筋がゾッとした。
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