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「例えば、どうしても一流大学に進学したいとするやろ?
好きな子が進学するから、とか。将来ホワイト企業に就職したいから、とか。その辺の設定はなんでもええけど、とにかく何が何でも一流大学に進学したいとする。
そしたら、やることは一つ。勉強するしかない。
進路相談で難しいて言われても、親や友達に絶対無理やて馬鹿にされても、諦めずに死ぬ気で勉強したら、奇跡が起こって受かるかもしれんやろ?
まあ、現実は甘ないから、努力が実らんことは多々ある。でも、そん時は滑り止めで妥協するんやのうて、浪人して来年またチャレンジしたらええねん。
結果として二浪三浪することになっても――折れへんかったら、いつか必ず一流大学に進学できる日は来る。ウチが言いたいんは、そういうこと」
究極のポジティブ思考。
あるいは前向きの極致。
不可能を可能にするために必要な努力の量とか。
浪人することによって失う時間とか。
受験に失敗した人間に向けられる周囲の視線とか。
あらゆるネガティブ要素の一切を無視して、ゴールだけを見据えた考え方。
「少なくともウチはそうやって小説家になった。何が何でも小説家になりたかったから、絶対に諦めへんかった」
誇る素振りなんて微塵も見せぬまま、小坪さんは淡々と結んだ。
その考え方が精神論や根性論と、どう違うのか――。
正直に言うと、結局あたしには理解できなかったけれど、一つだけ間違いなく言えることがあった。
あたしには絶対に真似できない生き方だ、と。
だから今になってようやく、摩子さんが小坪さんをアツい女と称した意味がわかった……気がした。
そんな人が五日で書くと決めたのだから――。
どんな事があっても、やり遂げてしまうのだろう。
「さて、だいぶ肩が軽なったわ。おおきにね」
これで話は終わり――とばかりに小坪さんは両手を高く掲げて言った。
あたしは急に狭くなった肩から手を離す。
「ウチはもうひと頑張りするさかい、夕飯の時間になったらまた呼びに来て貰てええかな?」
「はい。わかりました」
さすがのあたしも、これ以上ここに留まるべきでないことくらいわかる。
空になったグラスと皿をお盆に載せて、できる限り雑音を立てないように気を付けながら部屋を後にする。
と。部屋を出てから、ふと気がつく。
指先を痺れさせる程の熱は――。
そういえば、いつの間にか気にならなくなっていた。
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