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【本日の御予約】 小坪巴 様 ⑥
「おかえり。その様子だと――うん。巴はちゃんと休憩したみたいだね」
階段を降り切ってしまう前に声が掛かった。
肩がびくっと跳ねた拍子にグラスに残っていた氷がカランと鳴る。声の主である摩子さんはラウンジのソファに座っていて、隣には凛介の姿もあった。
なかなか戻らないあたしを待っていた――というより、心配していたんだろう。
あたしに対する心配、ではなくて。
あたしが何かやらかしていないか、と。
特に凛介の表情が露骨に物語っていた。
気を回してくれているのは、わかる。でも過保護が過ぎる――なんて思う。
言葉にすることは無いけれど。
「巴に妙な意地悪されなかった?」
「そういうのは全然。肩を揉んでほしいって頼まれたくらいです」
会話の隙間を縫って凛介が歩み寄ってくる。お疲れさま、と優しく微笑んで――さも当然のように、お盆を引き取って厨房へ去っていった。
洗うところまでするつもりだったのに……まあいいか。
「へぇ、肩を……ね。変わったことは無かったかい?」
急に低い声で訊かれて――指先が微かに跳ねた。
何もなかったと言えば嘘になる。おかしいと思ったことは確かにあったし、指先はあの熱を覚えている。
けれど、部屋を出た時には気にならなかった。それもまた事実。
迷った末に、あたしは首を左右に振った。
「いえ。あとは少しお話をしたくらいで……」
「どんな話をしたのか聞いてもいい?」
摩子さんの反応を確かめる前に、凛介の声があたしの視線を奪った。
厨房から戻ってきた凛介は、今度はコーヒーカップを用意していて――午後の休憩が始まるのだと察して、あたしは先にソファに腰を下ろした。
「いいけど……、大したことじゃないわよ? ずっと気になってたから聞いてみただけ、本当にたった五日で小説って書けるんですか、って」
「やればできる。信じればできる――そんな答えが返ってきたでしょ?」
どうせ、といった様子で摩子さんは笑った。
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