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「なにが大したことないですか……。これ以上ないくらいひねくれてますよ」
凛介が感嘆にも似た呆れ声を上げる。
「うん? そうかな?」
しれっと受け流す摩子さんに、苦笑いの凛介。お互いが否定の立場なのに議論が熱を帯びるのは、なんだかちょっと不思議だ。
「まあ俺も肯定派じゃないんで、摩子さんの考え方に共感できるところはありますけど――それでも、その。たとえ言い訳だったとしても、ああいう言葉って妙に説得力ありません?
えっと、なんて言えば良いのかな……。
こう、言葉そのものからチカラを感じるっていうか……?」
思考をうまく言語化できないのか、凛介は一つひとつ言葉を探している様だった。
そんな煮え切らない言葉さえ、摩子さんは容易に補完してしまう。
「言葉に何かを感じたとしたら、それは必然、誰かが付加したモノだよ。
言葉が独りでにチカラを得るなんてのは、とても稀なことなんだ。私だって本物の言霊には、まだ遭ったことがない。
熱の高い人間が発するから言葉に熱が移るのさ。逆もまた然りだね」
「……逆?」
会話に付いていきたくて、あたしも尋ねてみる。
「熱の低い人間――例えば、絶望の淵に立っている人間の言葉には、相応の悲壮感が宿るって意味だよ。もし仮に、そんな人間が熱を持った言葉を口にすれば、熱をいくらか冷ましてしまうだろうね」
「……なるほど。まあ絶望している人間は、やればできるなんて、口が裂けても言わないと思いますけど」
何気なくといった風に呟いた凛介に、しかし摩子さんは大きく頷いた。
「うん。要はそういう事なんだよ。
熱い人間、冷めた人間、それぞれがそれぞれに選びやすい言葉が存在する。熱い人間は選んだ言葉を温め続けるし、冷めた人間は冷やし続けるだろう。意識的、無意識的にかかわらずね。
結果として、言葉には平均温度が設定される。
もし言葉そのものから感じるモノがあるとすれば、それは特別なチカラじゃない。誰かの熱量――その残滓だよ。
特定少数ではなくて、不特定多数の誰か、のね」
熱量。
きっとそれこそが、あたしに欠けているモノ……なんだろう。
あたしは決して熱くない。かといって冷たくもない。ただただ、無温。
だからあたしの言葉は、つまらないのだ。
発する言葉には一度も――1℃も熱が宿っていないのだから。
「…………………」
対して、小坪さんはどうなんだろう。
『どんな事があっても、やり遂げてしまうのだろう――』
それが小坪さんの言葉から感じ取った結論だった。
ならば。
あの結論も、不特定多数の誰かが残した熱量によるものだったのだろうか?
違う……と思う。
足りない……と思う。
惚慕蕩萌の――他の誰でもない小坪巴の言葉だったから、あたしはどんなことがあってもなんて熱い感想を抱いた。
そんな風に思うのだ。
つまりそれだけの熱量を――たった一人で言葉の熱を上書きしてしまうほどの膨大な熱量を、小坪巴という個人が持っていたのではないか、と。
「……その逆は、ないんですか?」
「逆、というと?」
さっきのあたしと同じ反応をした摩子さんに、訊いてみる。
「その、不特定多数じゃなくて。たった一人の誰かが、言葉の温度を決めてしまう、みたいな」
刹那。摩子さんがにやりと笑った……気がした。
「ありえない。とは言えないけど――」
中途半端に言葉を切って、摩子さんは再びカップに口を付けた。
今度は唇がすぐに離れることは無くて、摩子さんがコーヒーを飲む間、しばらくの空白が生まれる。
まるで、この空白があたしの興味を最大限引き上げると、最初から知っているみたいだった。
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