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「失敗したのではない。一万通りのうまくいかない方法を見つけたのだ」
「はい?」
「かの偉人アインシュタイン――じゃなかった。トーマス・エジソンの言葉だよ。みちるちゃん知らない?」
「いえ、さすがに知ってますよ……?」
いきなり何の話が始まったのかと思った。
急に梯子を外される感覚には身に覚えがある。摩子さんと出会って一ヶ月が経ったけれど――この人との会話は相も変わらず一筋縄じゃ進まない。
「あの名言を聞く度に私は思うんだよ。偉そうなことを言っているけど、エジソンも研究室の中じゃ『また失敗した!』って泣き叫んでいたに違いない、ってね」
「……摩子さんのせいで名言が台無しです」
いつになくひねくれている摩子さんに、凛介が的確な一撃を入れる。
「おやおや、言ってくれるね」
可可っと笑って、摩子さんは空になったカップをテーブルに置いた。
「でも、そう。凛くんの言う通りだよ。あの言葉は〝ひねくれ者〟が口にしても名言にはならなかったってこと。
大発明という成功が生み出した――その前提条件は欠かせないけどね、同時にエジソンが心の底から失敗を認めない人間だったから、言葉にその分の熱が宿ったんだよ。
だから、そうだね。みちるちゃんの言うような、たった一人の誰かによって言葉の熱が決められてしまうことは、ありえるよ」
ただし。そう続ける声音は、一気に低くなった。
「言葉の温度をたった一人で決めてしまうような――意図せずに名言を生み出してしまうような人間は、その時点で普通とは呼べないだろうね。
だって、エジソンを。福沢諭吉を。北島康介を。
人々は普通とは評価しないよね?
彼らのような人間を、私たちは畏敬を込めて天才と呼ぶ――」
あるいは〝異常者〟とね。
「……っ」
ゾクリと。
背中から首元まで、びっしりと鳥肌が立った。
敢えて口にしたとしか思えない〝異常者〟という単語を耳にして、先月の出来事を思い出さないのは、不可能だ。
ならば。
つまり。
そういうこと……なんだろうか?
「それって……」
意を決して放ったあたしの問いを――しかし電話の着信音が遮った。
「ああ、私が出るよ」
「あっ……」
訊きたかった質問と、あたしが出ますの一言。そのどちらも言えないまま、視線だけが摩子さんを追いかける。
すぐに摩子さんが戻ってきてくれれば、改めて訊ねる機会もあっただろうけれど、そのまま長話になる雰囲気を感じ取ったのか、凛介も後片付けを始めてしまった。
独り残されて――もう一度、考える。
確証はない。あるのは、あたしという不安定な人間の不確かな直感だけだ。
……でも。不鮮明な感覚も、繋ぎあわせることで一応の答えを導き出すことができる。そしてその答えならば、引っかかっていた違和感にも納得がいくし、足りないと思っていた部分を補える。
だったら、やっぱりそういうこと……だと思う。
つまり、そういうこと。
そういうこと。つまり――
小坪巴は、あたしと同じ〝異常者〟なのだ。
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