32人が本棚に入れています
本棚に追加
初めは、やっぱり眠っているのだと思った。
力尽きた風に、ぐったりと天井を仰いでいる姿は、まさに『疲労』そのものを体現している様だったから。
しかし汗まみれの額と乱れに乱れた呼吸が、そうではないと訴える。
「え――えっ」
訳がわからないまま、まずあたしは持ってきた御盆をのん気にテーブルに移動させるところから始めた。
だって、ただでさえ物事をすぐには決めらないあたしなのだ。一手でも間違えれば命に直結しかねない場面で、迅速かつ的確な決断なんて、できる道理がない。
だからあたしが懐からハンカチを取り出したのは、熟考した結果なんかじゃなくて――とにかく汗がひどいから拭いておこう、くらいの陳腐で幼稚な反射だった。
反射……。
つまるところ、あたしはまだ、何も変わっていないということ。
文字通り、致命的なまでに、あたしは役立たずということ。
……なんて。
いま考えるべきじゃないことばかり考えながら――それでも動き出した手は止めずに、小坪さんの額にハンカチを当てる。
「熱っ………………!」
ハンカチからはみ出していた指先が額に触れた瞬間――右手があたしの意思を無視して、脊椎反射で空を切った。
指先が感覚を失うほどに痺れ、やや遅れて痛みが襲ってくる。
それはまるで、火にかけた薬缶に触れてしまったような――。
昨日、肩に触れたときの熱とは質も格も全く違う――比べることすら莫迦らしい、およそ人間が触れられる温度をはるかに超越したありえない熱量。そして言うまでもなく、明らかな〝異常〟。
いよいよ思考がパンクしそうになる。
何ひとつ意味が分からない。
けれど〝異常〟過ぎるからこそ、直感が告げた。
これは〝あやかし〟の仕業だ――。
とはいえ、熱の正体がわかったところで何の解決にもならなかった。
だって。それはありえないはずだから……。
そうだ。それはありえないはずなのに……っ!
「――っ」
思考が。
視界が。
一秒ごとに狭くなる。一秒ごとに色を失っていく。
このままでは本当に何も考えられなくなると直感して――。
「――――助けてっ!!」
無意識の叫びに、あたしが一番驚いた。
でもいまはそんなことを気にしている暇はない。
いまこの瞬間、あたしの脳裏には一人の顔が浮かんでいる。
どうしてその顔が浮かんだのか――。
そして、この感情の名前をあたしは知らないけれど――。
「凛介っ!!」
その名前を叫ぶことに、迷いは一切なかった。
最初のコメントを投稿しよう!