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「心配しなくても、四月分のお給料もちゃんと出すよ」
「それはありがたいですけど……本当に良いんですか? みっちゃんを〝おもてなし〟したって言っても、実質売り上げはゼロだった訳でしょう? それに俺、毎日のように料理の練習と称して食材を使わせてもらってるし……」
「うん。いつもおいしい夕飯をありがとう。お昼ご飯もおいしかったよ」
「いや、だから、そうじゃなくてですね……」
凛介と摩子さんの会話は続いていた。
言い淀んだ凛介に、摩子さんが念を押すように微笑む。
「大丈夫、大丈夫。この前みちるちゃんにも言ったけど、この店は趣味と義務を兼ねてやってるようなモノだからね。商売人としては失格かもしれないけど、正直なところ売り上げは二の次で良いんだよ」
「趣味と義務を兼ねるって……、なんかおかしな表現ですね」
いつぞやのあたしが言葉にできなかった違和感を、凛介はおかしいと言葉にする。
「確かに言葉にすればおかしいかもね。でも実際そうなんだよ」
おそらく猫舌である摩子さんは、ミルクティーに唇をちょこんと付けて――案の定、ほとんど飲まずにカップを戻した。
どこか得体の知れない人だけれど、こういうところは凄く人間味が溢れている。
「この店の先代――つまり、私のじいさんの遺言でね。私がこの店と遺産を継ぐことになったんだけど、その条件が店を続けることだったのさ。私自身、この店を気に入ってるから異論はなかった。だから趣味であり義務でもあるんだよ」
「それじゃもしかして、俺たちの給料なんかはおじいさんの遺産から?」
「今回みたいに売り上げが少ない時は、ね。まだまだ腐るほど余ってるし、なんの心配も要らないよ。きっと私の代じゃ使い切れないから」
「うわぉ……」
なおも続く二人の会話から意識を離して、あたしは開け放たれた障子から枯山水の中庭を呆っと眺める。話の続きに興味が無いとは言わないけれど、どうしても聞きたいとも思わない。
つくづく〝からっぽ〟だと、自分で自分にうんざりする。
庭の奥には四本の細木が植わっている。
初めてこの店に訪れたときに満開だった左端の枝垂桜はとっくに花が落ちていて、今は左から二番目の百日紅が新芽を伸ばしているところだ。
そこで、はたと気づく。
ああ、そういうことか。
季節によって順々に花が咲くように、粋な工夫が凝らされているんだ――。
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