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「それより。いまさらだけど、みちるちゃんたちはせっかくの連休がバイト漬けで良かったのかい? 一日くらいなら二人で遊びに行っても大丈夫だよ?」
がらりと変わった話題に――戸惑う。
唐突に訊かれたから、というのも確かに理由の一つだけれど。摩子さんの質問があたしにとって天敵のような質問だったから戸惑ってしまったのだ。
だから答えたのは、昼食の後片付けをしていた凛介だった。
「そうですね――みっちゃん、どこか行きたい所ある?」
……やっぱり来た。
あたしは、この手の質問に具体的な返答をしたことが一度もない。
どこか行きたい? と聞かれれば、特にないと答える。
どこに行きたい? と聞かれれば、どこでもいいと答える。
それでも凛介は当たり前のように、まず最初にあたしの意見を聞く。
……答えは初めからわかっているはずなのに。
そんな頑なな態度は、けれど、凛介の優しさだってわかってる。
凛介はいつもあたしに気を回してくれる。あたしを優先してくれる。
それはとても心地よくて、暖かい。
でもこうやって訊かれる度に、代わり映えのしない〝からっぽ〟な返事しかできないから――あたしは凛介に負い目を感じてしまうのだ。
だから。
つい、また考えてしまった。
……凛介は、どうしてあたしなんかを選んだのだろう、と。
「……特に、ない」
左右に首を振って、凛介を見ないようにする。
「そっか。俺も急ぐような用事はないし――ってことで摩子さん。俺たちの事は気にしなくていいんで、どんどんコキ使ってください」
「うん。そういう事なら遠慮なく手伝って貰おうかな。その方がきっと巴も喜ぶよ。みちるちゃんもよろしくね」
「えっと……、はい」
どこか意味深な笑みを向けられて――ふと、思い出した。
かつて摩子さんが提示した可能性であり、この店で働くことを決めたきっかけ。
『この店で色々なお客さんと出逢えば――その〝からっぽ〟は、いつか埋まるかもしれないよ?』
あたしは、この〝からっぽ〟を埋めたい。
それは、あたしが初めて手に入れた、欲求。
それは、いままであたしが体験しえなかった、未知の感情。
それを叶えてくれるのが、店に訪れるお客さんだというのなら――。
あたしはそれきり黙り込んだ。
待ち遠しさを胸に抱きながら、外に視線を固定する。
ほどなくして店の前にタクシーが停まって「ごめんくださーい」と声がした。
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