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【本日の御予約】 小坪巴 様 ③
凛介曰く――「凄く有名な人だよ」とのこと。
まだ二十代ながら、これまでに出版された書籍はすでにいくつも映画化・ドラマ化されていて、等身大で描かれる甘い恋愛模様が老若男女から幅広く支持されている、まさに新進気鋭の恋愛作家。
それが惚慕蕩萌――らしい。
読書を嗜まず、映画どころかテレビさえほとんど見ないあたしとしては、作家名も作品名も全てが初耳だったけれど。凛介の話を聞く感じだと、あたしのような人間の方が少数派なんだろう。
まあ、そんなのはよくあることだから良いとして。
気になるのは、それほどの有名人がどうしてこの店に来たのか――。
それは小坪さん本人から聞くことになった。
◇◇◇
「この連休を使うて、新作を書こう思てね」
小坪さんはあっけらかんと言った――夕食の席で。
というのも、この日あたしたちは四人で食事をすることになったからだ。
もてなす側ともてなされる側が同じ食卓を囲むという実に奇妙な状況は、小坪さんたっての希望だった。和気あいあいと、にぎやかに食事をするのが好きなのだとか。
ホテルや旅館とは違う、民宿ならではのお客さんとの距離の近さ。
利点――あるいは魅力と言い換えても良いかもしれない。
「何年か前から恒例行事みたいになっちゃってね、毎年GWにこうやって転がり込んでくるようになったんだよ。一応これでもお客さんには違いないから、断る理由がなくてさ」
「ちょい摩子? あんたその言い方やと、うちが厄介事みたいやん」
わざとらしくうんざりした風を装う摩子さんに、日本酒で頬を赤く染めた小坪さんが嫌味たっぷりに言い返す。友人同士だからこそ許されるやり取りといった感じだ。
そのせいで、あたしはずっと立ち位置が掴めないのだけれど……。
それでもなんとか話を聞いている雰囲気だけでも出そうと、あたしは摩子さんの方を見る。
「あながち間違いでもないでしょうが。だってあんた……」
そこまで言って、しかし摩子さんは不自然に言葉を切った。
あたしの勘違いでなければ、何かを隠そうとしているような不自然さ。
不審に思っていると――不意に、摩子さんがこっちを向いた。
三日月を思わせる細い眼であたしを覗き見る。
座ると畳に届くほど長い、漆黒の髪。
口元に浮かぶのは、いつも通りの薄い笑み。
……さっき言葉を切ったのは、あたしに聞かせない為?
確信はないけれど、なんとなくそう思った。
「――まあ、そういう訳だからさ。短い間だけど仲良くしてやってよ」
そのまま何事もなかったみたいに摩子さんは話を乱暴に終わらせてしまう。
こうなってしまうと〝からっぽ〟なあたしは、何も言えない。違和感と疑問を残したまま「はい」と頷くことしかできなかった。
「そういえば、あの川端康成も『伊豆の踊子』を温泉宿に篭って執筆したって話ですよね。やっぱり自宅とか仕事場とかで書くより、筆が進むんですかね?」
凛介がうんちくを混ぜながら話題を変えると――ぱくぱくと美味しそうに料理を呑み込んでいた口をきっぱり止めてから、小坪さんは笑った。
一つ一つの所作が丁寧で綺麗。雅さがある。
「あないな偉人がなに考えとったかなんてわからへんけど――でも目的は同じかもしれんね。この店に居ったら、うちが書いてる間〝おもてなし〟して貰えるさかい、ね」
〝おもてなし〟
先月までの〝怪奇現象〟。
先月まであたしの表側に顔を出していた〝あやかし〟。
たった一言でそれらを思い出して、指先がピクリと跳ねた。
でも確かに、自分で用意しなくても食事は出てくるし、その他の雑用も頼まれればあたしたちが手伝う。そういう点を見れば、自宅に篭るより集中して執筆に取り組めるのかもしれない。
そんな風に自分なりに答えを導き出したところで、あたしは前提条件に疑問を覚えた。
そもそもとして――。
小説とは、たった五日程度で書けるモノなんだろうか?
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