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「珍しいじゃないか、お前が恋愛モノ書くなんて」
西日で赤く染まり始めた放課後の図書準備室。
私のPCを覗き込んだ先輩は、「ついにお前にも春が来たか?」とセクハラまがいの発言をしながら隣の椅子に腰掛けた。お互い、今日の委員会活動を真面目にやる気はないらしい。 来館者ゼロなのが幸いだ。
「残念ながらそういう短編企画なんすよ、文芸部の。自主的に書いてるわけじゃありません」
「企画?」
「自分の得意ジャンル禁止企画」
我が校の文芸部は春と秋の年に2回、全校向けに部誌を発行している。「自分の得意ジャンル禁止企画」というのは、その秋の部で毎年掲載されている誰も得をしない謎企画のことである。
ルールは読んで字の如く、普段書いている小説の要素を排した短編を書くだけ。私の場合は、「死ネタ・病み展開・メリバ・ファンタジー要素の禁止」。普段どんなものを書いているのかは察してほしい。
「私からメリバを奪ったら、ただのバッドエンドしか残らないというのに……!」
「誰も死ななくて平和な現代が舞台で病み展開無しなのにバッドエンド?そんなもん成立したらある意味天才だぞ」
「成立しないから困ってんすよ!あ”〜、ハピエンが遠い」
そう、要はハッピーエンドを作れば良いのだが、コレがなかなか難しい。心中エンドやら贖罪エンドばかり書いているせいで、どう話を転がせば主人公に業を負わせずに済むのか全く分からないのだ。
今まで創った主人公達といえば、道を歩けば事故に遭い、親には売られ、恋人が殺人鬼で、親友とは共犯関係、命の恩人の名を永遠に思い出せない呪いを掛けられ……と、誰も彼も散々な目に遭わせてきてしまった。すまない主人公達よ、だがストーリー上仕方なかったのだ。許せ。
「んで、悪戦苦闘の末できたのがコレか」
「自分ではビターエンドくらいにはなってると思うんですけど……」
準備室のコピー機から出力された原稿を、赤鉛筆を持った先輩がペラペラとめくる。
「あらすじ。100字以内で」
「周囲から自分の夢を否定され続けていた主人公が、初めて夢を肯定してくれた先輩に恋する話」
「ありきたりだな」
「ちょっ!?少ない経験振り絞って書いてんすから、感想はお手柔らかにお願いしますよ!」
「それで面白い話が出来るなら、いくらでも甘やかしてやるよ」
「やっぱいつも通りでお願いします……」
頬杖をついて文字を追い始めた先輩から、意識的に視線を引き剥がす。この緊張感は苦手だ。特に今回、この作品を先輩に読んでもらうのは、いつもとは違った意味でドキドキしてしまう。
ものの数分で顔を上げた先輩は、眉間にシワを寄せて難しい表情をしていた。この表情は作品の良し悪しに関係ない。先輩は真剣に考えるとき、いつもこういう表情をするのだと、私はよく知っている。
「うん、心情描写が丁寧で、主人公の好意が真っ直ぐ伝わってくる。恋愛感情から生まれる不安と葛藤も、読者が共感しやすい。そういうの前から得意だよな、お前」
「あ、あざっす!」
「ただ……」
ぎくり、と背中に緊張が走った。先輩の発する「ただ」は、弓の弦を引き絞る音に似ている。
「この“先輩”ってヤツの客観的な描写が薄くてどんな人間なのか分からん。せめて外見の描写くらい書け。普段の面食い丸出し文章はどうした?」
「うぐっ……!」
「それに主人公がちょっと奥ゆかし過ぎる気もするぞ。ハピエンから遠ざかる原因明らかにコイツの勇気と行動力の無さだろ」
「で、でも!この主人公の性格からすると、これが、精一杯かなって……」
尻すぼみになってしまったのは、自分でも言い訳だと分かっているからだ。
ハッピーエンドが創れない。ただ単に「書ける」ジャンルを「得意な」ジャンルと嘯き、ワンパターンな物語しか綴ってこなかった自分への言い訳だ、と。
きっと本当に上手い、それこそプロになれる人間なら、与えられた条件で最良に面白い物語を創るはずだ。今の私に、そんな実力は無い。
先輩としても私の言い訳は看過できないものだったらしい。呆れたようにため息を吐くと、赤鉛筆の尻で原稿を二度叩いた。
「なぁ、この主人公は大きな夢を追いかけてるんだろ?でも、自分の恋心にさえ報いてやれん奴の夢に、先なんてあるのかね?」
「報いる?」
私の誤解を感じ取ったのだろう。先輩は「何も、付き合わせて安直なハピエンにしろって意味じゃないぞ?」と先手を打つ。
「どんなに無理だと否定されても叶えたい夢があって、それを肯定してくれるたった1人の人間がいて、主人公はそれらが欲しい。だったら手を伸ばせ。がむしゃらに努力させてやれ。勝ち取りたいと思う気持ちに、全力で報いてみせろ」
先輩は八重歯を剥き出しする、ちょっと悪辣な笑みを浮かべた。
「そういう奴の征く道は、きっと、もっと面白くなる。俺ら読者が応援せずにはいられないほどに、な」
まあ、あくまでも俺個人の意見だが。と付け加えると、先輩は校正を終えた原稿を返してきた。転々と散る目に鮮やかな朱色に、くらりと目眩がしそうだ。
「直したらまた読ませてくれ。お前初のハッピーエンド、楽しみにしてる」
「ありがとう、ございます……」
「頑張れよ、作家志望」
最後に私の髪をぐしゃぐしゃに撫で回すと、先輩は図書準備室から出て行った。返却棚の方に向かったから、気まぐれに仕事をする気になったのだろう。
「……私が奥ゆかし過ぎるなら、先輩は鈍感過ぎですね」
呟いて一呼吸。
よし、と気合を入れると、私はすっかり寝こけているPCを叩き起こした。既存の文書の画面を閉じて、まっさらな新規文書を選択する。
もう一度、一から書き直す気持ちで向き合おう。
もっと面白く、もっと眩しく、もっと青く。この小説を読む誰もが、主人公に追い風を吹かせたくなるような、そんな物語を。
いままで書いてきた重く暗い話も、私はもちろん気に入っている。あんなにもメリバを書き続けたのは、単に「書ける」から、だけではなく「好きだから」なのだと、自信を持って言うことが出来る。
きっとこの企画が終わったら、私はまたダークファンタジーを紡ぎ始めるのだろう。
けれど……いや、だからこそ、私は私の可能性を示したい。他ならぬ先輩に、私の夢を応援してくれるあの人に、私はこの先もっと沢山、もっと面白い物語を描けるのだと証明したい。
あぁ、それから……彼の輪郭をもっと鮮明にしなくては。描き直された先輩は、きっと、『八重歯を剥き出しにして悪辣に笑う』のだろう。
「待ってろよ、ハッピーエンド!」
私は私のやり方で、この想いに報いてみせるのだ。
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