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第一章
一年前。
ロドルハの町は、火の海になった。
ラナ・クドローは、洗濯物を水の中でもてあそびながら、時々、大きな丸い目で空を見上げる。
肩に残る火傷の痕が痛々しい。
ここはイシュハ。
女神アニタの国。
隣には、女神イライザを信仰する国があり、
イシュハは、去年、独立戦争に勝利するまで、その一部だった。
「独立一周年……か」
ラナは一人呟きながら、洗濯かごを持って、重い足どりで、家に向かって歩いていく。
今日、ロドルハは、
『独立戦争勝利一周年』
で、浮き立っていた。
裕福な家はパーティーを開き、そうでない家も、ようやく認められた『新しい女神』への祈りを捧げ、独立を祝っていた。
でも、今のラナには、そんなお祝いムードを楽しむ余裕はなかった。
「何をぐずぐずしてんのよ!!早く私の靴を出してきて頂戴!!」
「アイロンくらいちゃんとかけてよ!何これ!?しわしわじゃん!!」
継母と妹が揃って文句を言っている。
この家では、家事は全てラナの担当だった。二人は手伝うどころか、四六時中おしゃべり(主にラナか、近所の女たちの悪口)か、買い物に時間を費やしている。
ラナの家は、独立戦争中に3度、焼け落ちた。
南の管轄区軍がこの街に押し寄せて来たときには、皆揃って逃げた。余裕がなかったせいもあるが、継母も妹も、ちゃんとラナを家族の一員として扱っていた。
しかし、戦争が終わり、平和がやって来ると……。
「私のネックレスはどこ!?ちゃんと整理しておいてよね!!」
「どうしてランチに肉を出すのよ!?あんた!私を太らせる気!?」
毎日がこの調子だ。
パーティーに出かけるという二人の相手をし、さんざん罵られながら二人を見送ったあと、
『私も行きたかったなあ、パーティー』
と一人落ち込み、
『かっこいい男に出会いたいなあ〜』
と、一人妄想に逃げるのだった。
同じころ。
西のはてにある国、ロンハルトから、二人の使者が、ロドルハにやって来ていた。
「このあたりは去年まで戦場だったらしいな。死人の気配を感じる」
白いローブに、メガネをかけたデュドネが、ロドルハの市場を見回しながら言った。
「そう?すごく明るく栄えてるように見えるけど」
隣を歩くのは、連れのオーバン。人懐っこい顔をしているが、鎧を着て、大きな荷物を背負い、屈強な体つきをしている。
「おまえにはわからんだろう。魔力が全くないというのは、ある意味、幸せだな!!」
「人が多いなあ〜」オーバンはデュドネの悪口を無視した「この中から、ツヴェターエヴァの娘を探さなきゃいけないんだろ?」
「戦禍に巻き込まれて死んでいるかもしれんな」
「おーい、それじゃ、このアメシストの使い手がいなくなる」
オーバンが背中の荷物を腕で示した。
「封印も永遠に解けないことになるな」デュドネはなげやりな尊大さで天を仰いだ「我々の運命も尽きたな!!」
「赤毛の子を探そう」オーバンはあたりを見回した「ツヴェターエヴァはみんな赤毛だろ?シンシア様もそうだし」
「父親に似たら別な色かもしれんぞ」
「どうやって探すんだよぉ〜!?」
市場を歩く二人の外国人を、ロドルハのイシュハ人が奇妙な目で眺めている……。
「最近、西の国の連中が増えてきたよ」
夕方、人気のなくなってきた商店街の裏で、ラナと友人のキアラがしゃべっている。
「文明が遅れているんだろうねぇ。おとぎ話のような古くさい服を着て、鎧を着たり杖を持ったりした連中がうろうろしてるよ」
「行ってみたいなあ、ロンハルト」
ラナは遠い目でつぶやいた。
遠くの国の王子様が、『迎えにきたよ、ラナ』
と微笑んで、どこかに連れて行ってくれたら……。
「また夢見てんのかい」
キアラが呆れ笑いを浮かべて、タバコの煙を吐いた。
長い付き合いだから、ラナの妄想癖には慣れっこなのだ。
「かっこいい人いないかなぁ」
「いたらとっくに女が群がってるだろ。戦争で男が死んだから、ただでさえ女は余ってんだよ」
「だよねえ……」
ラナとキアラは、揃ってため息をついた。実際、ロドルハの市場にいるのは女ばかりだ。男はめったにいないか、いても既に女がいる。競争率はすさまじく高い。
「そろそろ帰らなきゃ」ラナは嫌々立ち上がった「あの二人が帰ってくる前にベッドメイクしておかないと」
「自分でやれって言ってやれば」
「寝る前にケンカしたくないもん」
「あたしはするべきだと思うがねぇ」キアラがいたずらっぽく笑った「新しき女神の国の真面目な子女としてさあ、一度こう、ビシッと」
キアラがタバコを持った手を握りしめ、誰かを殴る真似をした。
ラナも同じポーズをして、くすくすと笑う。
「タバコやめたら?新しい女神の国の子女として」
「いくら女神の頼みでも、そりゃ無理だね」
アハハ!と明るく笑いながら、ラナは真っ暗な道を走り抜けて行く……。
ラナが家に近づいたとき、ちょうど玄関に続く道の真ん中に、見慣れない人影が立っているのが見えた。
一人は時代錯誤な鎧を着て、もう一人は、聖職者のような白くて長い服を着ていた。このあたりの住人でないことはすぐわかった。
強盗だったら困るので、ラナはそっと道から外れ、一段下がった茂みに身を隠しながら、少しずつ家と彼らに近づいた。
「人の気配がないな」
男たちの声が聞こえてきた。
「勝利記念で市場が盛り上がってたから、出かけてんじゃない?」
これは鎧を着た男だ。なんか軽い口調だな、とラナは思った。
「こんな時間から酒を飲んでばか騒ぎか」
きつい口調。これは長い衣装のほうだ。
「いいじゃん。邪悪な管轄区の女神に勝って、『新しい女神アニタの国』ができた記念日なんだから。ロンハルトだって女神アニタの国だし」
ロンハルト人か。どうりで服装が変なわけだ。
ラナは茂みから二人の様子を伺い、どうしたら気づかれずに家に入れるか考えた。
「なにが『新しい女神』だ?我々はもう何千年もアニタ様とともに生きてきたんだぞ。それを、最近ぽっと出てきた新種の鉱物のように……」
「そこで『鉱物』なんて単語使うのはお前だけだよ!デュドネ!」
二人はラナの家の前まで歩き、玄関の真ん前でまたひそひそ話を始めた。
どうしよう?
ラナは、裏口に回ろうと思い、茂みから飛び出して走り出した。
「あっ、いたぞ!!」
男二人がラナを見つけて追いかけてきた。
ラナが裏口のドアを開けようとしたとき、服の背中を掴まれて、そのまま地面に引き倒された。
「赤毛だな」
「間違いない。シンシア様と同じ色だ。」
鎧を着た男が、地面に倒れたラナの髪をランプで照らしながら、引っ張った。
「いたいたいた痛っ!」ラナは恐怖と混乱で思いきり暴れた「なにすんのよ離しなさいようちに金目のものはないわよっ!!」
「どうやら強盗と勘違いされているようだな」
ローブを着た男が無表情で呟いた。
「えっ?」
掴まれていた手元が緩んだ。ラナは飛び上がって裏口の箒を掴み、
「女神アニタの乙女を襲ったバカには天罰を与えてやる!」
と叫ぶと、鎧の男を箒でバシバシ叩き始めた。
「うわ!待って!やめて!」
鎧の男は、グローブで箒を受けながら、見た目に似合わない弱気な声を発した。
「助けてデュドネ〜!!」
「我々は強盗ではない」
ローブを着た男がラナの前に割り込んできた。メガネをかけていて、目付きが鋭く、表情は冷たい。
しかし、美しい。
ラナが人生で会ってきたどの男性より、数段突き抜けて美しい顔だった。
ラナは箒を振り回すのをやめた。
「アリシア・ツヴェターエヴァの娘を探している」
美しい顔が、冷淡な表情でそう言った。
「アリシアは、私の母の名前よ」
ラナは寂しげに笑った。
「私を産んだあと、すぐに亡くなった」
三人の間に、奇妙な沈黙が生まれた。
「何を騒いでるんだい?」
家の中からラナの父親が出てきた。
娘と一緒にいる異国の男二人を見ても、全く驚かず、無言で家のドアを開け、中に入るようにと手で示した。まるで今日二人が来るのを、ずっと前からわかっていたかのように。
ラナと異国の男二人も、黙ってそれに従った。
「確かに、アリシアの苗字は『ツヴェターエヴァ』で」
ラナの父親が、穏やかな声で言った。
「ロンハルトからやってきたと言っていた」
テーブルを囲んでいるのは、ラナ、ラナの父、異国の二人。
そして、継母と妹が、急に現れた『変な格好の客』を、不信の目でにらみつけていた。
「アリシア様は、先代の王と結婚させられそうになって、逃げたと聞いている」
ローブを着た男、デュドネが、無愛想な顔で言った。
「王様と結婚!?」
そばで聞いていた継母が大声を上げた。
「そんなチャンスを自分から捨てるなんて、どういうこと?よっぽどひどい男だったとか?」
楽しそうな継母に向かって、ロンハルトの二人組が、冷たい視線を投げかけた。
「あら、ごめんなさい、でも不思議じゃないの」継母がスキャンダルでも見つけたかのようにはしゃいでいる「王様と結婚なんて、おとぎ話のようなすばらしい機会じゃない。小さな女の子はみんな、そんな話にあこがれているんですよ。そこの頭の悪い娘もそう」
継母は意地悪な声を出しながら、ラナに向かってあごをしゃくった。
ラナは顔が赤くなるのを感じた。いつもなら反論しているだろうが、今日は黙っていた。
自分の母親について詳しく聞くのは、今日が初めてだった。父親に聞いてもあまり教えてくれないし、継母や妹は、ラナの母親が話題が出ること自体を嫌っていた。
「ところで、お二人はなんのためにアリシアを探しているのかな?」
父親が尋ねると、デュドネは隣のオーバンに目で合図した。オーバンは、背中に背負っていた荷物を床に卸すと、ゆっくりとした手つきで包みをほどいた。全員が好奇心と不安を抱きながらそれを見守った。
荷物の中から出てきたのは、杖だった。
紫色の大きな石が先端にはまっている。
「ある封印を解くために、この杖を使える人間が必要なのです」
デュドネは、深刻な口調だった。
「でも、これ、もともとアリシア様が継承するはずだったものだから」オーバンは親しみのある話し方をしていた「アリシア様か、アリシア様の血を引いた人しか使えない」
オーバンは、杖をラナに向かって、両手で、捧げるように持ち上げた。
「持ってみて」
ラナは、恐る恐る、杖に向かって手を伸ばした。
そして、手が杖に触れた瞬間、
「キャッ!」
先端の紫色の石、アメシストが、まばゆい光を発した。
驚いたラナが飛び退くと、光はすぐに消えてしまった。
「光ったな」
「間違いないねっ」
どこまでも事務的なデュドネと、うれしそうにはしゃぐオーバン。
ラナと、家族はみな、呆然と、床に転がった杖を見つめていた。
ロンハルトから来た二人組は、杖を拾い上げると、ラナの父親の前に膝をついて、貴族を相手にしているような、最敬礼の体勢をとった。
「この杖を使える人間が必要なのです」
「ぜひ、娘さんをロンハルトへ連れて行く許可を」
「……えっ!?」
ラナはもちろんびっくりした。突然「別な国に連れて行く」と言われたのもあるが、それを、自分ではなく、なぜか父親に頼み込む二人の姿勢にもっと驚いていた。
「ちょっと!私には聞かないわけ!?行くのは私でしょ!?」
「ラナ」父親が戒めるように、ラナのほうに掌を向けた「お前はまだ子供なんだから、親に許可を求めるのは当たり前だよ。ロンハルトならなおさらそうだろう」
「ええ~!?」
「お願いします。封印を解かなければ、人命にかかわるのです」
デュドネはラナを無視して、父親にそう言った。妙に冷静な口調で。
「こんな子でよければとっとと連れて行ってちょうだい」
継母が、妙にうれしそうな顔と声で言った。妹も同じような顔をしている。やはり親子だ。意地悪なところもよく似ている。
「ラナ」
父親が、ラナのほうに歩いてきて、まっすぐに目を見つめた。
「どうする?彼らは助けを必要としていて、お前でなくてはいけないようだけど」
ずっと、遠くの街に行きたいと思っていた。
新しい場所に行って、素敵な人に出会って……。
それがラナの夢だったのだが、こう唐突に『はるか遠くの国へ来てくれ』と言われると、好奇心よりは怖さが先に立つ。
「パパは、大丈夫なの?」ラナはどこかで、止めてくれることを期待していた「私がいなくても」
「大丈夫さ、家族もいる」
父親はそう言って笑ったが、ラナは衝撃を受けた。
私はもう必要ないのだろうか?この家には……。
「それに、ロンハルトにはお前の親せきがいるはずだよ。母さんの家族がね」
「いとこであるシンシア様がお待ちです」
デュドネがまた、事務的な声で言った。
「シンシア?」
「今のツヴェターエヴァの当主」オーバンがにっこりと笑った「言っとくけど、ロンハルト王と同じくらい権力も金もある名家だよ!」
王様と同じくらい……?
それはいったいどういうことだろう?
ラナはまだ迷っていた。
すると、ひざまずいていたデュドネが立ち上がって、ラナに近寄ってきた。
そして、いきなりラナを引き寄せて、こういった。
「来てくれ。封印を解かなくては、中に閉じこもった人間の命が危うい」
ラナは気が付いた。
相手がものすごく真剣だということに、
そして、自分好みの美形(しかもメガネつき)だということに。
「……わかった、行く、行きます」
ラナはこう答えてから、自分が発した言葉に驚いて真っ赤になった。
そして、あとで「はめられた!」と思った。
次の日。
荷物をまとめて、二人のロンハルト人とともに家を出ようとしたラナに、父親が古い、ふちの焦げた木箱を渡した。
「開けてみなさい」
ラナがそっと木箱を開けると、そこには、綺麗なオレンジ色の宝石が光っていた。チェーンが付いていて、ペンダントになっている。
「母さんの形見だ」
父親が、さみしそうな顔で笑った。
「シャンパントパーズだそうだ。ビールみたいな色だと言って、よく怒られたもんさ……持っていきなさい」
「いいの?」
「あの二人に見つからないように、隠していたのさ」
父親は、継母と妹を横目で見ながら、ラナの耳元にささやいた。
「行ってくるね!」
「僕らに任せてください!」
オーバンが元気に言った。デュドネは無言で歩き出した。
道を歩く三人を、街の人たちが興味深そうに眺めている。
ラナったら、あんな風変わりな人と、どこへ行くのかしら?
「ラナ!」
キアラが路地から飛び出してきた。口に煙草をくわえたまま。
「どこに行くんだい!?」
「ママの国へ行くの」
「なんだって?」
「死んだママが、ロンハルト人だってわかったの。親戚のところへ行くのよ」
ラナがそういうと、キアラの目が真ん丸に開いた。驚いているのだ。
「そりゃまた、急な」
キアラは、すがるように両手をラナの腕に当てた。
「ちゃんと戻ってくるんだろうね?」
「戻ってくるわよ!パパがいるんだから!」
「そういう約束はしないほうがいいと思うが」
後ろからデュドネの冷ややかな声が聞こえたが、ラナは無視した。
「急ぐぞ」
「おいおい少しくらい待ってやれよデュドネ~!!」
さっさと歩きだしたデュドネを、オーバンが慌てて追いかけていく。
ラナもそのあとを追って歩き出す。
「私を忘れないでよ!」後ろからキアラが叫んだ「ロンハルトは宝石の国だろ!?私にエメラルドを持って帰ってきて頂戴!」
周りの人だかりから、どっと笑いが起こった。
「なんだあいつは、結局金目のものが欲しいだけか?」
デュドネが、冷ややかに振り返った。
「違うって!あれがキアラ風のさびしがり方なの!」
「わからん」
早足で歩くデュドネの横を、ラナは、遅れないようについていく。
たまにちらちらと横顔を見る。
今まで出会った中で、間違いなく、一番美しい男性だと思う。
でも、冷たいな、とも。
ラナの旅は、こんな風に始まった。
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