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大馬鹿者
ジュースや水、ビールや缶チューハイを何本か買い込んで、美佳を連れて僕の部屋に戻った。
開け放った窓からは、風が入ってきていて、もう寝室も金髪の子と僕の汗や体液の匂いはしないはずだ。僕は寝室の窓を閉めに行き、エアコンをかけた。
美佳はリビングのソファに座って、たこ焼き温めようか? と言っている。
「俺どっちでもいいよ、マヨネーズがあれば」
「私温めるから一緒にあったかいの食べよう」
電子レンジがピー! と加熱が終わったと知らせてくる。
「これがスーパーのやつで、これがタコタコ屋のやつで、もう一個が業務用スーパーの所に建ってる小さなお店ので……あれ、もう一つ無い」
「あー、土産に渡した」
「了解、あれ美味しいから食べなくても順位わかるもんね」
美佳は僕にフォローまで入れて細かい話をスルーした。それは僕がただ単に興味を持たれていないだけなんだろうか。それとも、大人の気遣いをしてくれているだけなんだろうか。
こんな風に女の子に思ったことが無くて、自分の気持ちを持て余す。
美佳が僕に興味を持っているなんて、そんなことがある訳ないのに。
「食べよ? かんぱーい!」
二人ともビールを開けて缶を合わせた。そう言えば絵里はグラスにきちんと注がないと嫌だって言ってたなあ。美佳はあまりそういうことにこだわらない。その日の気分でグラスを借りると言ったり今日みたいにそのまま缶から飲んだりする。そういう部分も気を遣わなくて楽だったんだ、と気付いた。
「わー、意外とこの業務用スーパーのとこのが美味しい! ねえゼロ君食べてみてよ」
そう言って美佳は、たっぷりソースと青のりがかかったたこ焼きを、自分の箸でつまんで僕に差し出した。
さっきまで僕はこの口で名前も知らない金髪の子にキスをし、その身体を舐め回していた。別の子と寝た後に会うなんてたまにある事だったのに、急に今の自分では、美佳に触れてはいけないような気がしている。
「おー、ちょっと待ってくれ、皿に置いてくれる?」
僕はそのまま食べずに、取り皿を差し出した。
「ほい」
美佳は皿の上に、たこ焼きを置いて箸を置くと、ビールを飲んだ。
あらかたたこ焼きを食べ終わった頃、美佳が改まって話し出した。
「……あのね、ゼロ君、今日は報告とお願いがあって来たんだ」
「おう、何だよ」
美佳がそんな言い方をしてここにやって来たことなどなかった。嫌な予感がする。
やっと、僕は自分から好きになる、という感情を知ったばかりなのに。
「こないだ、お見合いしてね、」
「は? もう見合いしたのかよ」
僕が話を聞いてから、半月くらいしか経ってないはずだ。僕は部屋に掛けているカレンダーを確認した。
「うん、前にゼロ君に話した時はもう結婚紹介所に申し込んでたから、すぐに話が来てね、それでこないだ会ったんだけど」
「それで?」
「会ってみて、いい人そうだったし、家庭に求めるものとかが似てるから、結婚に向けて話を進めようかなって」
はにかんで嬉しそうな顔をする美佳を見て、僕は絶望にも似た気持ちを覚えた。
遅かったんだ、僕が自分の気持ちに気付くのが。
遅すぎた。三年も俺は何をやって何を見てたんだ。
自分が悪いのに、何度も僕に抱かれている美佳が、見合いで会っただけの男に、これから一生抱かれて一緒にいると思うだけで、吐きそうなくらいに気分が悪くなった。
「……良かったな、何度かもう会ったりしたのか?」
僕は吐き気を抑えて、明るく返事をした。
「うん、お見合いの後に、一度。また明日会うんだけどね」
美佳の弾んだ声にウンザリしている自分がいる。訊くつもりも無いことを勝手に口が喋った。
「……もう寝た?」
「え?」
「ソイツと、もう寝た?」
「やだ、そんなゼロ君じゃないんだから……」
冗談のつもりで美佳が言ったのはもちろん理解していた。頭では。
今までの僕なら、そうだよな、って笑い飛ばしたと思う。
でも、今は、それができない。
「――そんな言い方、ないだろ?」
美佳の手を掴んで、精一杯感情を抑えて言った言葉がこれだった。
「あ、ごめん……」
さっきまで僕は今の自分では美佳に触れてはいけないと思っていたのに、そんなのは吹き飛んで、彼女を抱き寄せていた。
「や……っ!」
乱暴に長い時間キスをして、唇が触れる位置で言った。
「彼氏がいるのに俺の部屋に来て抱かれてたくせに、ヤったこともない男と結婚するのか?」
いつもと様子が違う僕に、美佳は怯えて声も出ないようだった。僕は彼女が抵抗できないように強く抱きすくめながら言った。
「ソイツにちゃんと教えとけよ、ここをこうするのが好きだって」
「んぁっ……!」
そこに触れると簡単に美佳の身体は震える。服の上からの方が好きなんて、今までの男は知らなかったはずだ。
「やめて、ゼロ君、今日はしたくない……」
どんどん身体の力が抜けていくのに、美佳はしたくない、なんて言う。そんな拒否するようなこと、彼女は一度だって口にしたことが無かったのに。
「どうして? 他の男の体液を身体に入れて会うなんて、婚約者に申し訳なくてできない?」
「そうだよ、だからもう……あ、おねがいっ、やめて……」
だからもう? 何だって言うんだろう。
「もう会わないなんて言うなよ……友達だろ?」
そう。僕たちは友達だ。三年越しで身体の付き合いのある。
それから僕は、今までで一番丁寧に彼女を抱いた。女の人を、丸ごと好きだと思って抱いたのは、それが初めてだった。
美佳の身体は、今までと変わらないはずなのに、僕は辛くて幸せでたまらなかった。
多分もう、美佳は僕の部屋には来ないだろう。
やっとこの人が好きだとわかったのに。
彼女はピルを飲んでいるから、どれだけ僕が彼女の中に出しても妊娠することは無い。
結婚したらピルを飲むのを止めて、夫になった男と抱き合って子を成し、真っ当な家庭を作るだろう。
それで美佳が幸せなら、祝福しないと。
それが彼女が望んだ幸せなら。
安定した生活、子供の声が響く家庭。僕はそれをあげられないし望んでもいない。
僕が欲しいのは、美佳だけだ。
こうして、僕に抱かれて声を上げ、二人で溶ける瞬間だけが欲しい。
ああ、やっぱり僕じゃ、ダメだな。
恋人にすら不適格だ。
好きだなんて言わなくて、良かった。
「美佳……っ……!」
僕は言いたかった言葉を飲み込んで、言葉の代わりに彼女の中にありったけを注いだ。
翌朝、早い時間に美佳は僕の腕の中で目覚め、いつも僕らがそうするように、サヨナラを言って、帰っていった。
「じゃあね、ゼロ君」
無理矢理抱いたことに対して彼女は何も言わなかった。僕を責めることもなじることも無かった。もしかしたら、僕が美佳といて居心地が良かったのは、彼女に何か我慢を強いていた部分があったのかもしれないと思ったが、もうそれを問いただすこともできない。
パタン、と玄関のドアが閉まった。
いつものように帰って行っただけじゃないか。
「美佳……」
なのに僕は、未練がましく彼女の名を呟いて、まだ美佳の香りが残るベッドに戻り、泣きながら眠った。
自分の気持ちに今更気付くなんて。
僕は、
大馬鹿者だ。
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