いわゆるセフレ

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いわゆるセフレ

今日は来ないかもしれないな。 窓の外を見ると、真っ暗な中に街の灯りが浮かび上がり、雨でそれがよりぼやけて光って見える。きれいだ。僕は自分がきれいだとか可愛いとか美しいと思うものを愛でるのが好きだ。それは美佳の身体もそうだった。 風向きが変わって雨が降り込んでくる。僕は雑居ビルの五階の窓を閉めた。 美佳とは知り合って三年になるが、恋人同士ではない。たまに会って抱き合うだけの間柄だ。その時々で、僕にも美佳にも恋人がいる時もあるし、いない時もある。お互いにその部分は詮索しない。いつの間にかルールが出来ていて、それに僕は初めて美佳と寝た時だって付き合っている相手がいた。 彼女に初めて会ったのは、友達との約束が反故になって、仕方ないから一杯飲んでいくか、と立ち寄った行きつけのバーだった。 「いらっしゃいませ、久しぶりですね」 後ろに綺麗に撫でつけたオールバックが似合っているマスターが、笑顔で挨拶した。 「参りました、飲みの予定が友達が急に体調崩しちゃって」 マスターは僕の前にコースターを置きながら、眉を上げて言った。 「零君、こちらのお客様も同じことになってるみたいですよ」 見ると、一つ空いた左側の席に、癖っ毛のようなパーマを肩まで伸ばした女の子がいた。肩をすくめて笑っている。笑った顔が好みの女の子は、大体外さないんだよな。 「すっぽかされた者同士、飲みましょうか」 僕は彼女の隣に席を移した。 「レイ、ってどんな字を書くの?」 「数字のゼロって漢字」 「じゃあゼロ君だね!」 中学や高校の時はゼロと確かに呼ばれていたな。懐かしい呼び方をする隣の人に興味が湧いた。 「君の名前は?」 「ミカ。美しいに、人偏の佳いって書くんだけど、まあ名前負けだよね」 ロングアイランドアイスティーを飲んで、同い年の美佳は明るく笑った。 お互い友達に会えなかった僕たちは、翌日も休みだ! と飲み明かした。 その夜のうちに美佳は僕をゼロ君と呼び、その夜のうちに僕も美佳を呼び捨てにした。 そしてその夜のうちに、僕らは抱きあった。 たいてい、こういう出会いは一晩のお楽しみで終わるし、終えるようにしているけれど、初めて寝たのに美佳は僕にすごく馴染んで、一度きりじゃもったいないような気がした。あと一回か二回、抱き合う価値のある時間を過ごした様に思えたから。 「美佳……また会える?」 ベッドで上半身を起こした彼女の腰に手を回しながら言った。 「うーん……次の彼氏ができるまでならね」 その返事の仕方は、僕が恋人には適さないと彼女が判断したという意味だったから、僕にとっては都合が良かった。そう言った理由も何となくわかった。飲んでいるうちに軽くお互いの話をして、美佳の仕事を知った。彼女はお堅い公務員だ。片や僕はフリーランスと言えば聞こえがいいが、もらえる仕事なら何でもやるライター稼業。お互い生き方が違う。 「……良かった」 僕は美佳の腰を引き寄せてキスをした。 「わ、くすぐったい!」 「じゃあここは?」 僕は彼女の脚の間に顔を埋めた。可愛くて美味しい女の子は大好きだ。それが誰であっても。 その頃僕には付き合っている絵里という彼女がいて、一年くらい付き合っていただろうか。僕が気に入った女の子がいたらつまみ食いする癖があると知っても、それでも付き合いたいなんていう理解ある子だった。きちんと切りそろえられたサラサラの黒髪のボブ。彼女の作る料理は美味しくて、趣味で読む本も似通っていて、話も合う子だ。付き合っていて何の問題も無かった。 絵里と付き合いながらも、たまに美佳や、他の子と寝たりして過ごしていた。それは僕の通常運転で、絵里が他の子よりも大切なことには変わりが無い。 けれどある日、絵里が身体に赤い痣をつけていた。ああ、誰か他の男と寝たのか。 「珍しいこともあるんだな」 「え?」 不安げに絵里が僕を見た。 「ううん、こっちの話」 けれど僕も他の子と寝るから責めるのはお門違いだと思ったし、見ても何故だかそれほど心が痛まなかったから、僕はそのまま彼女の首筋に唇を這わせた。 終わった後、僕は彼女を後ろから抱いて眠った。僕は行為自体も好きだけど、終わった後にこうして眠るのが一番好きかもしれない。女の子の柔らかい身体を抱いて微睡む時が。 「あー、幸せ……」 僕が思わず呟くと、彼女の背中が震え出した。 「……どうした?」 何で泣いてるんだろう。 「零、どうして怒らないのよ……」 「何のことだよ」 「……私、他の人と、寝たのにっ……!」 ああ、そのことか。僕はゆっくりと、震える絵里をこちらに向かせた。 「どうして怒る必要がある?」 髪を撫でながら落ち着かせようとしたのに、彼女は僕を悲しそうな目で見る。 「零にとって、私はその位なんだよね……。他の男と寝ても腹が立たない程度の。それって彼女じゃなくない?」 皮肉っぽい言い方なのに、彼女の声はとても弱々しく響く。 僕はそうは思わなかったけれど、一つだけ質問をした。 「……絵里、そいつは何て言ってそれをつけたの?」 絵里はぽろぽろと涙を落としながら、それでも僕を真っ直ぐ見て言った。 「……愛してる、ずっと待ってるから僕の所においで、って……」 僕は、愛してるとは一度も言ったことがない。きっと好きという言葉も数えるくらいしか言っていないだろう。嫌いじゃないけど、絵里を大好きかと聞かれたら言葉に詰まる。 「あー……俺よりそいつの方が絵里のこと好きだと思うよ。俺は絵里が好きだけど、愛してるかと言われたら、正直自信が無い」 表情を変えずに、淡々と僕は言った。そろそろ潮時だったんだ。絵里を抱いていても、ぼんやり美佳の事を思い出していたりしたから。 「どこの誰かも訊かないのね……」 絵里は大きく目を見開くと、深く呼吸を二回して、繕った笑顔を見せた。 「……ありがとね、零」 彼女はベッドから降りて、下着を付け始めた。 「零の部屋にある私のものは、捨ててもらっていいから」 右手の薬指から抜かれた指輪が、ローテーブルに置かれた。ホテルの扉がパタン、と閉まった。 一年ちょっとの絵里との付き合いはあっけなく終わった。 やっぱり女の子と付き合うのは、面倒くさいな。一人か二人、気が向いた時に会える女の子がいるのが一番だ。スマホを出すと、僕は美佳にメッセージを送った。 “彼女と別れたから、来たい時に来ていいよ” 数時間後、了解、と書かれた動物のスタンプが送られてきた。 絵里と別れて、何となく特定の恋人を作るのがおっくうになった僕は、たまに美佳と寝たり、他の女の子と寝たり、という感じで、どちらかというと仕事の方に力を入れて過ごしていた。 やっとある雑誌の編集部に滑り込んで、半分フリーランス、半分勤め人みたいな立場になった。連続性のある仕事ができることが嬉しい。 美佳は前触れもなく、来たい時に来る。僕は最初驚いたけれど、連絡しろとも言わなかった。何となく、それが僕たちの関係性であって、そういうサプライズが日常にあってもいいかなと思ったから。 だから、新しくできた彼氏ができた時は僕から連絡をしなかったけれど、ふらりと現れて、僕と寝ていく。 「彼氏ができるまでって言ってなかったっけ?」 「うん、その予定だったんだけどね、予定が狂っちゃって……」 えへへ、とシーツを顔まで引き上げて美佳は笑う。 「何だよそれ。別に俺はいいけど、彼氏は嫌がるんじゃないの?」 一応まともな分別がありそうなことを言っておいた。僕にまともな分別も倫理観もある訳がないというのに。 「うーん、やっぱり、全部が合う人って、いないよね……」 僕の質問には答えず、絵里は独り言を言った。 「そうだな、なかなかいないだろうな」 「残念なことだよね……」 まるで他人事のように、彼女はそう言って笑った。
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