私はメイド

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ご主人様は、私のことを「メイド」と言う。確かに身の回りのお世話をするのが私の仕事だけれど、そんなに大層なものではないと自分では思う。それに、メイドは主に家の中で活躍する仕事という印象があるが、私が活躍するのは主に外出するときだ。だから、どちらかというと「秘書」のほうが近いのではないだろうかと私は密かに思っている。 私の生まれは複雑らしい。まず、産みの親のことは覚えていない。生まれて間もなくは母ときょうだいたちと一緒に暮らしていたようなのだが、物心のついた頃には私はひとり、育ての親のところにいた。そこは大きな山の見える街で、育ての母が言うには私の生まれたところからも近い場所だったそうだ。 育ての両親のことはよく覚えている。ビールの好きな父と、花の好きな母は二人ともとても優しかった。幼く、何も知らない私にいろいろなことを教えてくれた。父は仕事で忙しく、平日の昼間はあまり家にいなかったが、その分休日はたくさん遊んでくれた。私は父とするボール遊びが大好きだった。私が家に来てすぐ父が買ってくれたピンク色のボールは今でも持っている。私の大切な宝物だ。母は平日、私をいろいろな場所へ連れていってくれた。ご近所付き合い、商店街での買い物、同じくらいの歳の子との遊び方。私は母と共に社会のルールやマナーを身につけた。 父も母もいつもにこにこと笑っていたが、ときどきとても怖い顔をして私を叱ったものだった。たとえば、私が誰かを傷つけそうになったとき。母と公園に遊びに出かけたある日、私は自分より幼い子と遊ぼうとした。私は普通に声をかけたつもりだったのだが、遠くから駆け寄ってきた私を見てその子は泣き出してしまった。母いわく、タックルしそうな勢いだったとのこと。母はその子の母親に何度も頭を下げ、私は激しく怒られた。他人を傷つけてはいけない、他人を傷つけるといずれ自分も傷つくことになる。母はそう教えてくれた。それからたとえば、私自身の命が危なくなったとき。父と散歩に出かけたある日、横断歩道で青信号に変わるのを待っていると、甲高くうるさい音を発する、白い体で頭が赤く光る変なものが前方から走ってきた。私は大きな音に驚いて道路に飛び出すところだった。父いわく、あの謎のものは救急車という、病人や怪我人を運ぶ車だったとのこと。父は道路、特に車がたくさん走る大きな通りは危ないということを強い口調で説明した。その後で、無事でよかったと言って私を抱きしめた。 育ての親との別れはいきなりやってきた。一緒に暮らせなくなる日がくることを両親は覚悟していたようなのだが、私は寝耳に水だった。迎えに来た車に私が乗せられるとき、両親は泣いていた。笑ったり怒ったりするのはよく見ていたが、泣いているのは初めて見た。両親と別れた当時のことを思い出すと胸が苦しくなる。彼らと過ごした日々は、毎日が発見の連続でとても楽しかった。いつかまた二人に会いたいな。一生のうちのごく短い間だったが、私はあのときのことを生涯忘れないだろう。 私を乗せた車は両親の家を出発してしばらくしてから大きな山の麓にある施設へ入っていった。訓練所だ。そこでしばらくの間、似たような境遇の仲間たちと共に職業訓練を受け、何度か試験を受けて合格し、卒業した。 こうして私は一人前の「メイド」として、所属する協会からご主人様の元へ派遣されたというわけだ。ご主人様は育ての父に似ている。においが似ているとでもいおうか。顔や背格好は全然違うのに、どことなく雰囲気が似ていると初めて会ったときに思った。
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